2017年02月25日

自由の側面

自由という言葉は如何様にも取れる言葉だ。それこそ何でも何の束縛もなく気ままに振舞っていいと言うようにも取れるし、大きなリスクを目の前にして、進むか避けるかを選択するようなときでも使う言葉である。人生の中で幾度となく使ってきた自由と言う言葉は、その時々でどちらに属したのだろうか。圧倒的に自由気ままの方に使ってきたような気がする。ましてはリスクを取るような場合は他人への責任転嫁で進めてきたと思われる。

自由という言葉は時には重くのしかかるし、無責任にもつながるものである。自分の人生をどう選択するかは最終的に自分に跳ね返ることであり、他人に向ければ結果に責任を持たないものである。そんな中で今ある自分の生活も選択の自由の中から生まれてきたことであり、他人の失敗に対して影響したとすればそれは責任を果たしたことにならない。

日々の生活の中にどんな立場で向かうかということは、その人個人の将来にかかってくることだが、至って人間はそのことに気づきにくいと思う。時として何の兆候もないのに大きく悩むことがあったり、危機が目の前にあっても気づかなかったりとする。いずれも起きうる人生の出来事ではあるけれど、悲しい人間の性かもしれない。

自由という言葉の意味を知り確実に成果を出せる人間は少ない。それだから仕事の成果を図るにどれだけ自由という言葉を理解しているかを知ることも面白い。自由ということはそれだけで多くの思いが浮かんでくる言葉でもある。実に面白く深みのある言葉でもある。
自由万歳と叫ぶ言葉の裏にはそのような気持ちもあるのかもしれない。
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2017年02月24日

選択

選択という言葉は何となく軽く響く言葉に思えるが、実はその積み重ねが現在の自分の姿につながっていることを考えると疎かにはできない。人は皆その時々に応じて自分なりの選択を続けている。その選択の基準は長年受け継がれたその人それぞれの文化が根底にあるのだろう。それが顕著に現れるのが宗教戦争であり地域紛争であるようだ。それだけに自身の選択がどうかということを知ることは大切なことである。

言葉の定義としての説明も広範囲にわたることもあるだけにこの選択という言葉の難しさだろう。学生時代においては自分の進むべき道も選択だし、身近な例では服の選択、食事の選択、ましては好みの色の選択、実にさまざまな選択のレベルがある。そのような中において人は選択を続け続ける。その結果がその人の人生を左右するのだから当然のことだろうと思う。

人はそれぞれの人生を歩んでいるだけに選択の結果は大きな違いとなって現れる。それが今この地球上で生活を営む人々の違いになって来ているのだといえる。人種の違いにあるように肌も考えも価値観も違う世界が生まれている。それぞれが作る世界も大きな違いとなって今日の世界が出来上がっているのが現状である。

果たして自分の選択が最良の選択だったのか誰が判断するのだろうか。結果の現象は誰もが見えることだが、満足感というものは当事者でなければ感じることができないことでありそれをもとに判断するとなると結論はたった一人の当事者だけの話になってしまう。人生短い中で何かを選択して何らかの形が出来上がるがそれをもって皆が判断することは以外とおかしなことである気もする。
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2017年02月23日

堂々巡り

トレモロ練習を初めて2カ月近くが過ぎたが、未だに指がまともに動かないし不安定である。昨日少し良くなったと思ったら今日は全く動かない。そんな情けなくなるような日々の繰返しが続いている。講師に聞くとこれまでの弾き方の練習法の延長ではないので、やはりある程度の時間を覚悟しなければトレモロにならないだろうという事。

ネットのユーチューブで話題となり人気の高い“父のギターアルハンブラの思い出”を見つけました。84歳になっても元気に好きなギター音色を楽しむ姿は同じ高齢難聴でも羨ましい。ギター歴60年には遥かに及ばない3年目の私では“Tommyのアルハンブラ宮殿の想い出”の録音までには、数年或いは数十年単位の時間がかかりそうである。

“父のギターアルハンブラの思い出”ギター歴60年のお父さんの演奏
https://www.youtube.com/watch?v=UqH8JbpcWkM

こちらはプロギタリストの朴 葵姫(パク・キュヒ)演奏
https://www.youtube.com/watch?v=zQnBstCaosE&index=2&list=PL3Jqeisy43s2t0yTVvSzLpTfswplivrwN
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2017年02月22日

家族写真

何時ごろからそうなったのか正確には覚えていないけれど、机の上に家族写真を置くようになった。以前にはとても考えられない習慣であったが、海外の販売会社を歴任する内に、現地社員と同じような感覚になってしまったのかも知れない。家族で川崎太子にお礼参りに行ったとき撮った写真が、今机の上にある。とても気に入っている写真だ。

自分にとって家族は宝物である、二人の大切な息子と愛する妻がいて長年の夢が実現している。子供のころの思い出に残る淋しさを繰り返してはならないと思うに、大切に思う心を忘れてはならない。時として意見の合わないときもあるかもしれないが、お互いが家族を大切にしようという気持ちがあれば、しっかりとした絆となる。若くして亡くなった母が、我が家族が幸せに暮らせることを見守ってくれていると思う。

時として事件も起こることもあるが、それも家族の絆を強めるものであって弱めるものではない。昔から家族のつながりは大切とされ守られてきたと思う。それが真実である。人は時として一人のときを好むこともあるが、それは個の成長のためにも必要なことではあるけれど、家族の絆を緩めるものではない。そのためにも家族の写真は、常に目の届くところにあって欲しいものである。

どんな写真も今では何の苦労なく手に入れることができるが、自分の子供のころはそれが適わなかった。それが証拠に今は当時の写真が殆どない。貧しき時の写真が数枚残っているが、他人には見せられない。亡き母の姿もそこに見られるけれど、自分だけの宝物としてそっと持っていたい。そしていつでも笑い顔に届くように近くにおいておきたい。
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2017年02月21日

秘密のベール

清掃工場が停止し数カ月、敷地周りを目張りして建物が外部から見えなくなった。近くのデパートの高台から見下ろす敷地の中に大型ショベルカー、大型掘削機、ブルドーザ等が運び込まれている。しかし、さらに建物もテント布で全体が目隠しされている。果たしてどんな工事が進行しているのか外からは全く見られない。完成してからのお楽しみだ。
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