2018年11月12日

紅葉始まる

青空に浮かぶ綿雲の下には始まったばかりの公園の色々な落葉樹の紅葉がみられる。公園で最初に紅葉した銀杏の葉はすでに黄色になって落葉したものもあるが、場所によっては今が盛りとなって残っているところもある。
IMG_1012.jpg

これから本番となるもみじやけやきが見頃になっている野鳥の池の周辺は夏場路上ライブのパフォーマンスが見られ、早朝には水鳥が訪れる池の周りには既にカメラを持った先客が何人も訪れて色々なアングルから撮影していた。
IMG_1011.jpg
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 四季 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

未だ見ごろ


霧雨に濡れた秋バラはまだまだ見頃である。一寸した用事でたまたまバラ園の横を通ると先客が盛んに写真を撮っておられた。釣られるようにバラ園に入ってみると多くの秋バラが昨夜の霧雨を全身に浴びたままでそれこそみずみずしい姿で撮って欲しそうだった。

IMG_1001.jpgIMG_0999.jpgIMG_1004.jpgIMG_0996.jpgIMG_0995.jpgIMG_1006.jpgIMG_0993.jpgIMG_1002.jpgIMG_0997.jpgIMG_1001.jpg
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 余談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

思考方法

考えるということは人間の特権だろうか。良く考える人ほど頭脳明晰であると言われている。良く考えてそのシナリオ作りが解り易くすることで、多くの賛同者を得ることが出来る。そこに悪意やエゴや自惚れがない限り、描かれたシナリオは実践への協力者も得ることができる。そしてそれが成果となってこの世で評価されることになる。

人間の行動の全ての始まりが思考と言うことから、その思考方法についてじっくり考える必要があろう。これまでどちらかと言えば誰かの思考の結果を利用したり真似たりして何となく成果らしいものを得てきた感がする。自分のものでない思考は何かと不安も後ろめたさもあり満足できるものではない。それをどう変えて行けるだろうか。

学校で学ぶことは全てが先人の残したものである。それを一つ一つなぞることで同じ理解をしながら習得してゆくものである。そこに一つのルールが生まれると同時に思考のルールも生まれてくるのだろう。日常生活における思考、考え方はほぼ殆どの人が同じような考え方に及んでいる。これは明らかにルール化した思考であるといえる。

自分がいま目指さなければならないのは明らかにそれとは異なるものである。ここまで人生を過ごしてきた者としては、より高い成果を出すためのシナリオや考え方が必要であるといえる。果たして自分にそれだけの頭脳があるかどうか、運が味方してくれるか、人が付いて来てくれるかどうか。多くのことをクリアして行かなければならないと思っている。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月09日

日々是好日

今年亡くなった樹木希林の遺作として公開された『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)を観に出掛けた。前回観た映画『モリのいる場所』では30年もの間、家から出ることなく庭の昆虫や草木などを描き続けた逸話を持つ、孤高の洋画家の熊谷守一の晩年をモデルにした作品であったが、彼女の演技が強烈な印象になっていたので是非今回も観てみたいと思っていた。

今回の映画はエッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々をつづり人気を集めたエッセイで茶道の素晴らしさを美しく温かい描写で描いていて、そのお茶の先生役で出演していた。これまで茶道とは全く無縁な世界で過ごしていた私にも分かり易く、茶道の世界観ということで、日本の四季についても大切に描かれているのでお薦めの映画である。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 余談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月08日

思い出の故郷会

故郷会にはじめて参加してきた。御茶ノ水にあるホテルで毎年10月の第4土曜日に行っている年中行事であるとのこと。我が故郷出身の方々六十数名参加されていた。故郷の伊佐市長から鵜木副議長まで参加されたうえ、市職員も参加しての故郷起しの行事に組み込まれていた。故郷は実に懐かしいものである。

三名の同窓生も参加して懐かしさが募る集まりである。年配の方も知り合いではなかったが、お互いの知り合いを思い浮かべての話が進んだ。伊佐市の人口も3万人程度と市としては非常に少なくなっている。今でも年に6百名ほど減少しているということで今では人口増加を願っているという。定住者促進のため一日千円の利用料金を設定した住宅もあるという。そんな策をしても人が集まらないとは我が故郷も寂しく感じられる。

ずーっと昔になるだろうか、心のさびしさを紛らわすために故郷に帰ったときのことを社内報に載せたことがある。確かタイトルを帰郷として妹と二人して撮った写真とともに載せたことがあり、多くの人の反響を得たことを思い出す。そのころの故郷はまだまだ活気のあるころではなかっただろうか。人口ものぼり坂であったと思う。

長年の歳月が過ぎて故郷も過疎化が進んでいるようだ。菱刈金山が発見され話題にはなったがそれほど大きな産業とはなっていない。人が減るということは寂しいことである。故郷に愛着のある人にとってそれはもう死活問題とも言えることだろう。東京に出て住み着いてしまった自分達の未来だけでなく故郷も時には思い返したい。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする