2017年09月24日

心の持ち方

青年期に自己嫌悪に陥ったことがあり、自分を慰めてくれる色々な言葉を探しているうちにぶつかったのがこの言葉だった。何か自分の性格が影響しているのではないかと悩んでいる中で一条の光のように照らしてくれた。人間は苦い失敗も心の持ち方で気持ちが大きく変わるものだと教えられた気がした。

<<ついぞ大きな苦痛を知らず、自分の自我の大敗北を体験したことがなく、失意の底に沈んだことのない者は、ものの役に立たない。そうした人には何かせせこましさがあり、その人柄に高慢で独善的な、不親切なものがつきまとうのである。そのため彼らは、ふつう彼らの大いに誇りとする公正心にもかかわらず、神にも人間にも嫌われるのだ。ヒルティの言葉より>>
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2017年09月23日

コスモス畑

広大な光が丘公園でコスモスが咲いているのは芝生広場の小さな花園とここの二カ所だけのようだ。今年も黄色い花が一面に咲き始めた。夏場は昆虫広場として草ボウボウになっているのだが、秋口になると花が咲き始めて改めてここにコスモスが毎年育っているのに気づかされる。
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コスモスで思い出すのは九州の故郷の一地方で、苦労して代々引き継がれて来た畑がさま変わりして一面コスモス畑として変化していた。少々さみしい話だが当時の貧しい生活から抜け出そうと若者のほとんどが村から出て行った。そのため村の人口が大きく減り、今では誰も耕す人がいなくなった。後に残った村人の誰かの発案だろうが、畑全体にコスモスの種を蒔いたらしく、それが地方新聞に写真付きで紹介されて一時賑わったが、今はどうなっているだろうか。
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2017年09月22日

携帯電話考

携帯電話の出現は驚きである、特に最近の電話はそれだけで何でも出来てしまうようである。買い物の決済から手帳やウオークマン、デジカメや通訳それにインターネット。もう電話といえないような代物である。その機能が今持っている携帯に全て付随している。全ての機能が使いこなせるわけでもないのにと思うが付いているのである。

国内海外を問わず誰にもどこにも即座に電話連絡できるし、どんなに遠くても問題なくつながるのがこの携帯電話機能であるようだ。人は誰でも便利さを求めるものではあるが、その人の知的レベルまでは対応しても、それ以上は何の役にも立たない機能でもある。はたしてその携帯電話を持つ自分はどうだろうか。

10年20年という単位で見ればその変化も大きいが数年の単位では少しの変化しか見られない。それは技術の進歩の特徴でもあるかもしれない。10年単位の変化は大きな新技術で生まれ、数年単位の変化はその応用でしか生まれてこない。そこでどう社会に受け入れられて事業として成り立つかは経営者の経営力につながるのかもしれない。

携帯電話で見る限り今はその技術の応用力が大きく物言う時期であるかも知れないが、自分が抱えている問題はどうだろうか。特別の新技術はなく繰り返し使われる技術で十分に対応できている。使っているのは専ら音声通話だけで、それ以上はなかなか使いこなせていない。それでも持ち歩いているのである、自分の愚かさを証明するが如く。
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2017年09月21日

見直し練習

定年退職後から始めたギター練習は実に厳しいものがある。先ずは肉体的なハンディがあり習っても筋肉や骨が既に出来上がっていて教えられた通りに練習できないこと。なれない譜面がなかなか覚えられないこと。音感が全くつかめないことなどで戸惑いが多い。

講師のアドバイスやネット社会でのギター練習法の情報は数多くあるのだが、どの方法が自分に合ったベストな練習法かがわからない。そこで始めたのが特定の方法を一週間練習し何らかの感触を得たら継続し、全く見出せなかったら捨てる取捨選択方法。

親指の巻込み癖の矯正はトレモロ曲を弾くには絶対的に必要ということで始めたが2年たってもこれと言える練習法が見つからない。その中で初心に帰ってチョウチョの曲を親指だけで弾く練習をすすめられた。練習してみると意外なことに全く弾けないことを知る。

そこで分かったことは親指だけで弾くということを先ずは解決しなければ巻込み癖の矯正などおぼつかないことを知る。改めて以前取捨選択しながら捨てた新堀メソードによる親指の集中練習法の書かれた本を探して読み直してみた。改めて読むと全く勘違いしていたようだ。
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2017年09月20日

判断基準

社会人となり日々の仕事や生活環境の中で新しく知り合いとなる人も多くなったころ、どう判断して対応してよいか迷うことが多かった。そんな中でこの言葉は一つの判断基準として当時の自分の心の中で参考にさせていただいた。

<<過度に謙遜な人を真に受けてはならない。とりわけ、自分で自分を皮肉るような態度を信用してはいけない。その背後には、たいてい、虚栄心と名誉心の強烈な一服がひそんでいるのだ。ほんとうに謙遜な人は、決して自分のことを口にしないものなのだ。自分については、良いことも悪いことも言わないものなのだ。そして、自分の人物が問題にされることをすこしも望まないのだ。これに反して、虚栄的な人は、しばしば自分で自分を非とするという一見いかにも謙遜なやりかたで、ひとの注意を自分の上に集めようとするばかりか、お世辞さえも手に入れようと努めるのである。ヒルティの言葉より>>
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