2016年05月31日

ガールフレンド

一目惚れとはこのことかと思うほど気に入ってしまった、早速買い求めて持ち帰ったのだが当時の家族の反応は・・・。同様に私の勧めで購入した上司は家族から自宅に置くのを拒否され仕方なく職場に飾っていた。陽気で健康的でそれに頼りたくなりそうな強さを秘めた雰囲気は日本中何処で探しても見つからないだろう。見つける度に買い求めて今では四体にもなって我が家の飾り棚に収まっている。当初はあきれていた家族も今では愛着が湧いて来たらしく我が家のアイドルとして大切に扱ってくれている。
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2016年05月30日

校内放送

それは小学校6年生の時の全体朝礼で校長先生の訓話直後、校内放送として立ち上げた初日のラジオ体操の時間での出来事だった。

今もそうだが小学生のころは特におとなしく自分から積極的に発言することも行動することもないおとなしい性格だった。その自分が6年生の或る日、担任の先生が校内放送を生徒だけで運営することになったので誰かやりたい人はいないかと言う話がでた。どうした訳か真っ先に手を上げ大きな声でアピールする自分がそこにいた。担任もビックリだったのか勢いに任せてしまったようである。最初の仕事として全員が行うラジオ体操を当時レコードに合わせて行うようになっていた。

見よう見まねでレコードを回転させ針をレコード盤に載せて順調にラジオ体操がスタートした処までは良かったのだが、ラジオ体操が終わった後のレコードの止め方がわからず途中でどうするのかなと心配になっているとき仲間の一人が針を指で持ち上げるだけじゃないと言った。ラジオ体操はまだ途中であったが、気になって指を針の近くにもっていきこんな感じかなと確認するつもりが実際に針に触れたため針が盤上で飛び途中で終わりになり慌ててもとに戻した全校生徒バラバラの体操になってしまった。早速呼び出され名誉ある校内放送もその日の内にくびとなり、次の日から元の先生運営に戻ってしまった。たった一日だけの情けない校内放送係りだった。
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2016年05月29日

孔雀

以前中華航空に乗ったとき退屈しのぎに折り紙を折っていると強い視線を感じた。その方向を見ると新米のCAだろうかじーっと私を見つめているではないか。うら若き女性に関心を寄せられたのかと顔を向けると、微笑が帰って来て折り紙に関心があると言う。空いている隣の席に座って折り方を教わっても良いかというではないか。それから一時間以上隣席に座り込み、他のCAが2回も呼びに来たのに機内の仕事を放りだし夢中で覚えようとしていた。それでようやく自分で折った壱羽を持って席から離れたけれどCA室に帰って先輩らしき人に怒られていた。その後どうしているだろうか、降りるときに小さく手を振っていたけれど。
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2016年05月28日

ギター停滞

3カ月以上も前に録音して以来全くPCMレコーダに手を触れていない。曲の仕上げを録音することで区切りをつけているのを考えるとこれは正に長期停滞に他ならない。

ギターは毎日手にしているものの同じことの繰り返しで新曲に進めないのが理由である。特に最大のネックは親指の改造をしたことが、親指の不安定さを招いていることである。親指は第二関節で手の内側に曲がっていたのを指摘され、第三関節を軸に弾けるように改造は成功できたのだが、肝心の弾く動作が大きく変化したことで親指の不安定を招き新たに親指の訓練が必要になってきた。現在はアルペジオとスケール練習が中心で本当の初心者に戻った感覚である。しばらくは親指が安定して弾けるようになるまでは停滞つまり新規録音はお休み状態となりそうだ。急がば回れということわざもあることだし焦らず着実にをモットーにしよう。
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2016年05月27日

幸福定義

自分の経験では年齢ごとに幸福についての考えが変化してきたように思う。古い書類を整理しているときに、メモとして残しておいたのが見つかると、当時の思いが次々とよみがえり懐かしさも伴いついつい読み返している。

<幸福とは、自己の努力によってその欲望が満たされ、心身ともに快感を覚える状態で、しかもそれが自己の健康と社会国家の希望に反しない場合をいう。そして幸福そのものは比較的進歩的なものであるから、日々新たな努力精進を必要とするものである。>

この定義を自分なりに解釈すると、幸福とは結局親から譲られるものでも、他から貰うことのできるものでもなく、各自が絶えず努力していくよりほかはない。しかも、一度その努力を止めれば、同時に幸福が止まることになる。一生幸福に生きたければ一生努力を続けていくより他にないのである。目まぐるしく変化する今の世の中、幸福を味わう内容も目まぐるしく変化するので常に努力が必要である。努力すなわち幸福であるといえよう。
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