2016年06月25日

微笑と快諾

年をとってからはとりわけそうだが、言葉のよい意味で楽天的であるようにつとめなさい。環境があなたに持ち出す要望や要求は、それこそ朝から晩まで一日じゅう山のようにあるわけだが、それにたいしてあなたは、にこやかな微笑と快諾をもって答えることもできれば、また多少ふきげんないやいやで答えることもできるのだ。

つきつめた話、どの態度でのぞんでも、結局あなたにとってはたいがい同じ結果になるのであり、どちらを取るかは単に習慣の問題にすぎない。しかし、微笑と快諾をもってするという習慣のほうが、あなたの家族やそのほかあなたと交際するすべての人々にとっては、もっと大きな、しかし当然めったにないような善行などよりも、はるかにありがたいのだ。

日常の小さなことが人生の性格をきめるのであって、大きな行為がきめるのではない。大多数のひとにとって、大きな行為など、そうでなくてもめったにないのである。「ふきげん」は、もしまだあなたにこびりついているなら、徹底的にぬぐい去るべきものだ。<ヒルティの言葉、希望と幸福より>
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2016年06月24日

カボチャの花

昨年はカビにやられて枯らしてしまい大失敗したカボチャだが、今年は十数本芽が出たのでその中から三本だけ残して後は全て間引きしたら勢いよく伸びてきている。

カボチャは黄色い大きな花を咲かしてくれるので、毎朝起きてすぐにベランダ農園見回りが一日の始まりとなっている。このところ毎朝花を咲かせてくれるので楽しみも増えたが、殆どが雄花ばかりが続いている。雌花が咲かなければ実はならないと聞いているので、雌花になるつぼみを探しているがまだまだこれからの様子。

少々困ったことは我が農園は天井までそれほど高くないことである。このところ毎日10cm近く伸びているようなので一週間もすると天井に届きそうである。そうなるとカボチャのツルは何処にも伸びるところが無くなり、このままではカボチャの実を見ることなく成長が止まることになりそうだ。ベランダ農園も次々と難題が降りかかるものだ。
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2016年06月23日

同期入社

毎年六月と十二月に年二回ある同期入社の会が、現状報告を兼ねていつもの桜華楼という本格的な中華料理屋で行われた。いつもなら七名だが今回は一人だけ家族事情で出席出来ず六名となった。

今年は入社してから半世紀、お互い顔を見合わせてしわだらけの顔をみていつものように思い出話に花を咲かせている。それぞれ途中で転職をされてオーナー経営者で未だに現役の人が二人おられる。皆さん気分は若く昔と変わらぬ冗談を交えての話はいつも尽きることがない。同期入社組の二十数名のそれぞれの近況を伝え合い元気なのを喜ぶ。最近増えて来た話題は新たに経験した病の話で、それぞれが自慢気に次から次へと話すがいずれも似たような高齢者特有のもので改めて自分達の年齢を自覚している。入社した会社には既に同期は誰も残っていないが、皆さんやはり気になるらしく後輩の活躍を喜んでいるようだ。
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2016年06月22日

ヒルティの言葉

二十代の初めに出会った本がある。“希望と幸福 ヒルティの言葉” 秋山英夫訳編 既に絶版となっている本だが、考え方や生き方に迷ったときに何らかのヒントを与えてくれた大切な本である。定価120円は当時古本屋で10円前後したが今でも一番大切な本である。その本のささやかな喜びの章の最初の出だしが、次の文で始まる素敵な言葉となっている。

“人のために大いに役立つ機会はそんなに沢山あるものではない。しかし、誰かにささやかな喜びを与えることなら、いつでもできるのだ。たとえそれが親愛の情をこめて挨拶すると言ったことに過ぎないとしても、しかし、それだけでもすでに孤独な味気ない生活を太陽のまなざしのように明るくすることはできるのである。われわれは毎日毎日を始めるにあたって、そういう機会をすべて利用しようと心に決めてかからねばならない。”
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2016年06月21日

勇気ある行為

二十年以上も前の旅先での出来事だったが、何故か今でも強く印象に残っている出来事がある。初めての地で土地勘のない私は知人の出迎えを待っている間、ホテルの窓からぼんやりと交通量の多い通りを眺めていたときのことである。

信号機が青になって多くの人々が横断歩道を渡り始めた。その中に白い杖を持った全盲の老人がゆっくりと歩き始めたが、途中で信号が赤になり老人一人が道半ばに取り残された。しかも、その前後を荒っぽい運転の車が走り出していた。とっさに横断歩道の反対側で次の信号が変わるのを待っていた青年が車の間を縫って老人のところまで走り寄りしっかりと抱きかかえて連れ帰った。そのあと何事もなかったように老人を歩道に下し、自分は信号が変わるまで待って横断歩道を渡って行った。老人は既にそこを立ち去っており、何事もなかったような元の風景になった。
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