2016年07月11日

巣立ち

けたたましい鳴き声が早朝の公園でひときわ突き抜けて遠くまで響いている。松の木のてっぺんにいるのだろうか、そこに向って望遠カメラが一斉に取り囲んでいる。

毎年丁度今頃の公園の光景だが今朝は特別に人出が多かった。日曜日でしかも快晴、他の曜日とは比べられないほどの人出である。ラニングにジョギング、犬の散歩に猫の散歩、今朝は見なかったが亀の散歩、サイクリングにウォーキング、サックスに尺八、ギターに三味線、実に多くの人々が広い公園の中を思い思いに過ごしている中での、かん高い鳴き声に人々の関心はその一点に向けられる。少なくとも二組だろうか今年のタカの巣立ちは、特別に騒がしくにぎやかで華々しい。佐渡のトキも過去最高で今年39羽だとのこと。
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2016年07月10日

サッシ交換

住んでいる集合住宅で窓を全て二重ガラスに取り換える工事が進んでいる。断熱効果があり省エネにつながるし、最近増えた救急車のサイレンの音で目覚めることもないという事で全数交換するという大掛かりな工事になった。そのための事前説明で窓周辺は1メートル程度スペースを空け、通路の確保もしてほしいと言われていた。

今月には我が家も工事に入るという事で事前チェックを受けた。集合住宅だけに部屋はそれほど広くない上に窓際は机や本棚が置いてあるため移動をお願いしますとあいなった。そんな訳で本日は急きょ部屋の片付けを手掛けることになって時間ばかりがかかり夕方にはくたくたになった。
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2016年07月09日

仕事について

よく仕事をするに必要なこと、それはフレッシュな気持ちと感興がなくなったら、その仕事を続けないことだ。

始めることだけは、気がむかなくとも始めなければならぬが、(そうしなければ大体始めようがなかろう。)しかし、仕事したあげく多少疲れたとなったら、ただちにその仕事を中止すべきだ。だからと言ってその場合、仕事そのものをまるきり止めるには及ばないのである。たいてい今までやっていたその特定の仕事だけを止めればよいのである。というのは仕事を取りかえることは、必要な休息とほとんど同様に元気を回復させるからである。われわれの天性にこういうからくりがなかったら、たいした仕事はできまい。 ヒルティの言葉、希望と幸福より
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2016年07月08日

必要な気分転換

先週は初心者としてギター練習を始めて以来、初めて一週間ほど休んでしまった。意図して休んだわけではなかったが、親指の問題が長引いて相当落ち込んでいたようである。

そんな気分のとき山仲間に誘われて雨にも関わらず参加した。旧友にも遇えて気分が解れて大いに昔話をして盛り上がり楽しんだのが、気分転換になったようである。もう一度最初の練習曲に戻って練習をやり直して見ようと考えた。今日の一日そんなことで珍しくギターと過ごす時間が長くなったが楽しくなって、ついついベランダ農園の水やりを忘れてしまった。夜になって乾いて萎びたミニトマトに慌てて水をやる。小さな花がいくつか咲いていたので今年枯れなければ実るだろうと思っている。ギターも実って欲しいものだ。
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2016年07月07日

ある日の一日

自分の趣味とはと考えたときにそのものに何時間でも没頭できるものではないだろうか。どんなに時間を費やしても飽きずに続けられることではないだろうか。今日の自分がそうだったようにほぼ一日中、折紙とギターで一日が終わったような生活。全く疲れを感じられず時間のたつのも気づかずいつの間にか夕方になっていた。

そんな生活を味わうことの多いこのところである。残りの人生がこのように過ぎてゆくのだろうか。それとも社会異変で人類が生きてゆくのさえ大変な時代になるのだろうか。今は一時の平和の中で生活しているから、このようにのんびりした日々が過ごせるのだろうか。人が生きて行くのに大変なこともあるかも知れないが、趣味が続けられることはそれだけでも幸せなことかもしれない。

いつ頃からこのようなことが自分の頭の中で快感となって来たのだろうか。やはりギターという音色の良い楽器があったからだろうか。中学時代に触れた唯一の楽器だったからだろうか。自分はその楽器を弾きこなせそうもないが、けしてあきらめたくない気持ちがある。それが今も興味を持ち趣味として練習を継続けさせてくれる。

一方折紙はふとしたきっかけで始めたけれど、こちらも何となく夢中になり時間の概念を捨てさせてくれる。同時に他人の喜ぶ顔が見られると言う期待があり、わくわくしながらの折り紙である。一人の師匠も出来て相談も出来る。それが又自分を励ましてくれているのだ。インストラクターの資格を取ったのも他人への意志表示であるかもしれない。
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