2016年08月26日

人間の尺度

人間の尺度という言葉がある。どんな場面で使うかというと、その人物の器量を推し量るときに用いる言葉のである。人間生涯に数多くの出会いがありそのたびに相手の器量を推察して付き合うようになる。そのときに用いる物差しみたいなもので、勝手に相手の尺度を決めて接触を試みるため多くの場合後で修正が伴うのである。

人は誰でも自分に甘く人に厳しくという性癖がある。他人の尺度を決めるにも同じように自分は常に高い位置にいて相手を推し量っているために、実際の尺度より小さく見る傾向にある。そのため、後で本当の実力を知ることになり大恥をかくこともしばしばある。人は自分がかわいく大事に思っているだけに、この傾向が多かれ少なかれというところだ。

人は誰でも組織や人物についてあちこちで批評を繰り返しているけれど、それが相手に伝わらないことはない。必ず何らかのルートを通して伝わったとき、に相手がいかに気分を害するだろうかということを知るべきだろう。そのことを考えて出来るだけ本人の前で話せないことは批評しないことと考えているが、いまだ完璧に守られず失敗の連続である。

人間の尺度についても同様なことがいえるのではないだろうか。相手を推し量る前に、自分自身がへりくだる必要があるのではないだろうか。そうすることで相手が大きく見えるし、相手も遠慮することなく自己の喧伝が出来るのではないだろうか。そこで先ず心がけることとして相手の名を呼ぶときは、年上だろうが年下だろうが全てさん付けで呼ぶこと。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月25日

出身地

人の出身地と言うものは良く話題に登るところである。又、同郷の好ということで難しい話もまとまるケースが多いのが事実である。人は皆淋しい気持ちを持った人間かも知れない。その寂しさを同じ出身地の者同士では理解できると勝手に思い込んで心の窓を開いているのかもしれない。いずれにせよ同郷の人間同士では直ぐに話が弾む事実がある。

この東京という色々な地方から人が集まって大都会となった所にも、同郷の集まりが至る所に出来上がっている。それぞれの集まりは仲間意識が強く、同じ思い出や経験を積んできていることから、それらが共通認識となりお互いを良く知ったような気分になっている。人は誰もが仲間を得ることで安心を得ようとするように群れあうのかもしれない。

初対面の人には必ずと言っても良いほどにご出身はという問い掛けがある。それがさらに続きどちらの地域でありますかとなり、何々をご存知ですかとなる頃には既に仲間意識が出来上がってきているようなものである。それが一つの儀式のようなものであり、その時の返事次第では相手の記憶の中に映し出されて今後の対応が決まってくる。

出身地の大切さはこの人間社会に所属する以上どうしても発生するものだろう。出身というものの定義も国、県、町、村等の枠組のレベルがある。それぞれのレベルで人の繋がりの程度も変わってくるだろうが、大切なことは同じ出身というお互いの認識が生まれることである。それが出身というものを強い絆として結びつけることになる。
posted by Tommy at 04:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

親指のリハビリ

既に2年近くも親指の不安定な動きを改善しようとすすめてきたが、当初の頃のメモを見ても一向に改善している様子が無い事を知り愕然としている。そこで他の楽器で同様な悩みを持っている人はいないかと探しているうちに、意外に多くの人が同じような悩みを抱えていることが分かった。最近これに対して鍼治療を勧めている診療所等もあることもわかったが、こちらは痛い思いはしたくないので敬遠したい。

ギターを始めた一年目は童謡等で易しい曲を手掛けていたこともあり少しずつ進歩している感触を得ていたが、最近は親指の不安定な動きが全ての練習曲に影響するようになり以前弾けていた童謡さえ弾けなくなっている。そこで参考になったのがピアノでのジストニア回復記録というブログである。似たような症状であり、リハビリの考え方が参考になったので同様な方法でしばらく親指のリハビリを続けて見ようと考えた。最低半年はかかるようなのだが果たして結果がどう出るか。これも又,ギター練習の愉しみの一つにして行きたい。
posted by Tommy at 04:00| Comment(4) | TrackBack(0) | ギター日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

愛の種蒔き

あなたは愛の種まきをしなくてはいけない、たえず、出来る限り卓さんに。それが教育期間を終えたのちのあなたの生涯の仕事である。どれもみな芽をふくとはかぎるまい。それを覚悟していなければならない。しかし、全部が全部、石ころばかりの地面に落ちてダメになるとはかぎるまい。なぜなら、世界が愛を必要としていることは非常なもので、世界自身が愛を持たない場合でも、愛を評価することに変わりはないであろうから。

種まきをどうするかという方法は、日に日に悟って行くのが最善の道であろう。ひとたびその決心さえついてしまえば、種まきの機会はいくらも出て来るだろう。だから、ためしにやってみたまえ! 最も大きな仕事は、当たってみること、始めることによってのみ成就するのだし、この場合には神が助けてくださることは間違いないのだ。なぜなら、神自身が同じ目標を追っておられるのであり、あなたはこれから先、神の助手、同じ仕事に携わる協力者かからだ。<<ヒルティの言葉より>>
posted by Tommy at 04:00| Comment(2) | TrackBack(0) | ヒルティの言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

外人が来た

小学生の頃、村中が大騒ぎになったことがある。村の娘で外人と結婚した人が、夫婦で里帰りしたというので娘の実家には村中から大人も子供も一目見たさに集まった。

当時は夫婦が腕を組むのも艶やかな洋服を見るのも珍しく、ましては夫婦でダンスを踊って見せたのが大きな話題となった。このことが村中に伝わり、更に多くの村人が集まり大名行列のごとく二人の後をぞろぞろとついて回る。二人が挨拶に行った親戚でもダンスを踊ってと村人にねだられて苦笑しながらもサービス精神旺盛だった。そして最後にかわした口づけで村人の大きなどよめきが起きた。あれから半世紀以上過ぎてしまったが、当時の初心な村の人々の驚きが今は懐かしく思い出される。それと同時に、異文化をつないだご夫婦のその後の人生はどうなっただろうか。最近の混血児の活躍の先駆けとなったお二人の素晴らしい話を聞きたいものだ。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする