2016年08月26日

人間の尺度

人間の尺度という言葉がある。どんな場面で使うかというと、その人物の器量を推し量るときに用いる言葉のである。人間生涯に数多くの出会いがありそのたびに相手の器量を推察して付き合うようになる。そのときに用いる物差しみたいなもので、勝手に相手の尺度を決めて接触を試みるため多くの場合後で修正が伴うのである。

人は誰でも自分に甘く人に厳しくという性癖がある。他人の尺度を決めるにも同じように自分は常に高い位置にいて相手を推し量っているために、実際の尺度より小さく見る傾向にある。そのため、後で本当の実力を知ることになり大恥をかくこともしばしばある。人は自分がかわいく大事に思っているだけに、この傾向が多かれ少なかれというところだ。

人は誰でも組織や人物についてあちこちで批評を繰り返しているけれど、それが相手に伝わらないことはない。必ず何らかのルートを通して伝わったとき、に相手がいかに気分を害するだろうかということを知るべきだろう。そのことを考えて出来るだけ本人の前で話せないことは批評しないことと考えているが、いまだ完璧に守られず失敗の連続である。

人間の尺度についても同様なことがいえるのではないだろうか。相手を推し量る前に、自分自身がへりくだる必要があるのではないだろうか。そうすることで相手が大きく見えるし、相手も遠慮することなく自己の喧伝が出来るのではないだろうか。そこで先ず心がけることとして相手の名を呼ぶときは、年上だろうが年下だろうが全てさん付けで呼ぶこと。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする