2016年09月30日

金木犀の香り

早朝ウォーキングにと住宅の玄関を出ると甘酸っぱい臭いがして来た。これまでは雨模様の天気が続いたこともあり気が付かなかったが、久し振りに晴れた今朝は空気がさわやか。

公園の入り口にある金木犀が黄色い花を咲かして、そこから漂っている香りが住宅にまで届いているのだった。そうか、もう金木犀の花が咲く時期になったのだと自分で納得しながらいつものコースを歩く。前日までの雨のせいか公園の樹木も地面もたっぷりと水を得て湿っているのでひんやりとした空気の感触である。公園内のあちこちに植樹された何十本かの金木犀が特有の香りを放っている。公園を利用する多くの人々が行き交う広場の一角に最も大きな樹があり、その下を通るたびに香りに呼び止められて見上げる人が立ち止まる場所がある。その木が公園内で最も豪華に見える。
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2016年09月29日

友遠方より来る

熊本に住み以前同じ会社の同僚だった知人が、用事で東京に出て来たが帰りの飛行便まで時間があるという事で約四年振りの再会となった。

今回は義兄の弔い、姉の入院見舞い、それに義娘の見舞いとあまり喜ばしきことではなかったが、帰るまでに時間があったので電話したとのこと。話せる時間が30分ほどしかないというあわただしい再会だった。駅構内の喫茶店でコーヒー一杯飲むわずかな時間だけで、お互いの顔を見比べてイメージ変化の修正を行うと同時に近況報告をする。お互いの健康状況を確認しあい、大きな病気を抱えていないことを喜びあった。それだけのことだが、友が元気に過ごしている姿を見てなぜか嬉しくなって来た。
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2016年09月28日

聖書について

聖書に触れたのはいつだっただろうか。自分の記憶では中学生のとき校庭で誰かが手渡してくれた小雑誌みたいなものがそれかも知れない。タイトルに何々福音書と書かれていたが当時は全くその意味も内容も理解できなかった。確か数冊の異なった福音書を貰った覚えがあるが内容を読んだ記憶が全くない。それが最初の出会いではないだろうか。

それから次に出会ったのが大学の英会話の先生が米国人の牧師であったこともあり、友人の誘いを受けて牧師宅で英語による聖書研究になった。聖書の勉強会に日曜日に出かけるようになって初めてキリスト教なるものを知る。特別に感動することもなくその習慣を実体験するだけのものであったが、少々聖書の内容にも興味が湧くことになった。

卒業してからは人生の転機となったカール・ヒルティの幸福論に出会い、そこから聖書の読み方を学ぶことになった。如何に生き如何に精神の安定を得て日々を生きてゆくかを聖書の中から言葉を見つけて道を説くその本は、不安にさいなませられる青年期の自分の道標となって導いてくれた。ヒルティ自身もそれらの全てを聖書に頼っていたのだ。

世の中にはキリスト教、イスラム教それに仏教という三大宗教があるけれど、いずれもこの世の人々の精神的支えとなっている。それぞれが自分たちの宗教が絶対と思って信じているだけに、これ等を信じる人々の間で争いも絶えないのが現実である。しかし、自分にとっては特別に違いは見出せない。いずれも心の支えてとする自身の個人宗教とする限り。
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2016年09月27日

メロンです

我がベランダ農園には今年もメロンが実りました。これまで過酷な環境にも関わらず我がベランダ農園で三年連続の成果になりました。今年のメロンは一個だけ残して育てたこともあり、これまでに比べて少しは大きく湯呑茶碗ほどの大きさになりました。しかし、形が少々いびつになってしまいましたが、ここまで大きく育って満足です。
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2016年09月26日

親指脱力

二年にも及ぶ親指巻き込み矯正による不安定な動きを前回のレッスンにつづき今回もしっかり観察してもらい講師に色々とアドバイスを頂く。

特に今回は親指が未だに緊張し脱力が出来ていないことによるのが大きいという指摘をうけた。脱力状態の感覚と脱力の方法を練習法で身に付けて行くのを学ぶ。一つに親指の動きが必要以上に大きすぎるのが気になるので、出来るだけ小さな動きで力を抜いて弾くことに意識を集中させることが大事だとのこと。確かに講師の弾くのと比べると明らかに大ぶりで、その度に手の甲全体も動いているようだ。これでは確かに次の動作が遅れてしまうのが理解できる。講師が弾く手は殆ど動かずあたかも止まっているような錯覚さえある。次回に向けて基本中の基本である脱力によるアルペジオをアポヤンド奏法で練習することになった。
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