2016年11月02日

充足ということ

人間には事足りることが来るのだろうか。常に不足を感じて生きている人の中において自分も同様に感じているところである。人間の要求は限りなく起きてくるものでありその要求を実現したいと言う希望の強さに比例するように成果も変わってくるのだろうと思う。自分としてはそんなことに振りまわされることなく生きてゆきたいものである。

次々と現れては消える興味の対象も同様である。特に始めの頃は単純なゲームに興味を持って取組んでいたものがいつの間にか飽きがきて次の段階のゲームに没頭するように次々とその興味の段階も高度化してくるようになってくる。その高度化を演出できない供給側のビジネスは自ずと衰えてくるようになってしまう。現実は実にシビアな状況である。

心の思うところに興味を持つのは人間の性であり、人それぞれに違うのは生まれ育った環境にもよるし、生まれつきに興味を示すものもありその範囲は異常から正常、正常から極端と言うような中の何処かに位置しておりその反応も全く異なっているものである。そこが又人間の面白いところの一面でもある。

充足と言う言葉はあるけれどそれがどのような時に使われるのだろうかと思う。何もかもが思うように実現している時がそれを言うのか。それとも成果として満足できる状態を作り出している時であろうか。人生は長いし多くの機会があるだけのこの充足と言う言葉もその中で繰り返されることだろうと思う。実際問題そのことを感じることは幸せなことだろうかと考えさせられる。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする