2016年12月31日

お礼参り

我が家で毎年恒例になっているお礼参りに川崎大師に行ってきた。家から電車を乗り継いで片道二時間もかかるのだが、毎年年末に出かけて今年一年無事に過ごせたことへのお礼と、来年の厄除け祈願をし、仲見世通りにある饅頭屋で厄除けの葛餅をいただき達磨を買ってかえる。家族が出来てからは品川で途中下車して見晴らしの良いホテルで無事に過ごせた一年を祝い昼飯を食べて帰るだけで特別なことをする訳ではない。

20代後半に川崎地区で営業実習生として飛び込みの営業活動をしているころに、いつの間にか導かれたように川崎大師の門前にいた。当時はお寺参りとは全く縁のない若者で毎日成果の出ない営業に興味なくひたすら無駄な活動と思いながら過ごしていた。それがなんのきっかけか覚えていないが、その日を境に初めて商談がまとまり仕事にも楽しみを見出した。それ以来毎年のお礼参りに行くようになり今日まで続いている。
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2016年12月30日

朝焼け

あさのウォーキングで玄関のドアを開けると、東の空が一面に赤く染まっている。朝焼けは人々の間では雨の前兆とされているが、今朝は特別に素晴らしい景色である。夜明け途中の静かな住宅街に高層住宅が朝焼けをバックに一段と抜き出たシルエットとなっている。そのまた向こうにはスカイツリーが小さく見えている。

朝焼けは地平線に近い所を地面すれすれに進んで来ると,波長の短い光(青い光)は人間の目に届くまでに,散乱によってなくなってしまい,波長の長い光(赤い光)だけが残るので明け方の東の空が赤く見える現象が起こると言われている。
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2016年12月29日

希望について

人は希望が持てなければモチベーションが湧かない。これは明確なことのようである。その希望はどうやって生まれるかといえば些細なことである。故郷のチームが初優勝を飾ったニュースが流れれば自分自身にもという希望が持てるし、何か珍しいものを見つければそれだけにラッキーだと思い、好きな人の言葉を見つけると自然に嬉しくなる。

人が生きて行くためには希望が欠かせない。誰もが落ち込んでゆく自分を見つめながら生きて行けるだけの神経の太さを持ちえていない。人それぞれに耐えられるレベルは異なるけれどいつまでも続けられるものではない。そこには必ず限界がある。希望を持つということはその限界を乗り越えた先が見えるということではないだろうか。

限界の先に明るい未来が見えるので限界を超えることを躊躇しなくなり果敢に勇気を得て乗り越えてゆく元気が生まれるのだろう。そうでなくては日々の僅かな障害さえ厳しいものがあるだろう。乗り越えられずに暗く淋しい人生を見据えた生活が続くのではないだろうか。人間誰しも生きて行きたい願わくは幸せな気持ちを持ち続けたいと思うだろう。

希望という言葉について昔流行した歌があった。悲しい現在において希望という未来があるから生きて行くというマイナーな調子のメロディだったが多くの人が涙を流しながら聞いていたと聞く。それだけに人の感動を呼び起こす言葉ではあるが確実にこれが希望だと決め付けることもできない。時の流れの中で薄められて消えて行くようなものである。
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2016年12月28日

本との出会い

これまでの本との出合いが自分の精神面を形作っているといえるだろう。ヒルティの言葉を拾い集めた文庫本、それも古本との出会いから始まった本との関わり合い。これまでの間にどれほどの本を買いどれほどの時間と資金を投入したかは分からない。それでも相当なものになるだろうとは部屋に積まれた本の数から分かる。

集めた本との出合いは出会ったときの自分の精神状態によるところが大きいだろうと思う。性格的に引っ込みがちなところを前向きな考えにしたいという強い願望から自己啓発書を多く買い込んでいる。次に多いのがビジネス書だろうか多くの成功者の本を読み続けている。中には大変役に立った人もいてありがたく思っている。

人間性というものも興味の一つとして自分の要求の中にあった。先人で尊敬できる人がいればその人の本を買い込んでいる。人間の考え方や行動というものは人間性によるところが殆どである。それが分かってきたのもごく最近のことで少々恥ずかしい気持ちもあるがうれしいものでもある。如何すればよいかという方向が見え出したということである。

素晴らしい人に出会うのは極めて難しいけれど、素晴らしい本に出会うことは出来る。先人で人間性の良さを持って知られている人の本を読めばそのエッセンスを殆ど無料で知ることが出来る。これは実際に出会うことなく得られるものである。又、多くの人に支持されている人の考えや生き方を見て自分も同じような人間になりたいと考えるとき、それもまたその人の著書を通して考え方や生き方を知ることが出来る。出会いとは人だけでなく本にもある。
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2016年12月27日

年末の贈物

年の瀬になると我が家にも贈物が届く。それ以外にも珍しい人から届くこともある。何十年も前に一緒に仕事をした人から品が届いたりした。既に退職されてから十年以上経っているというのに気に掛けていてくれることも嬉しいが、贈物まで届けてくれる気持ちはさらに有難いものである。人間の生き方というものはその人の心しだいなのだろう。

仕事での付き合いがなくなれば一切の連絡を絶つ人もいれば、何の見返りなく連絡をしてくる人もいる。単に心を繋ぐためにだけで何の損得も考えない人。私はそんな人との交流は大切にしてゆきたいと思っている。その人が救われるだけでなく自分自身も心の安堵をえられ、新たに頑張ろうという気持ちが湧いてくるから。

人は誰でも贈物を貰うと嬉しいものと思っていたが、最近は少々その見方が変わってきたと思っている。同じ贈物でもその人の心が伝わらないものについては、心からの嬉しさというものが伝わってこない。これは明らかだといえる。これまでいただいたものの中で何時までも心に残るものといえるものは、その人の人間性が伝わってくるものである。

自分もいろいろなところで贈物をする場合があるけれど、それが心のこもったものであるかどうかは分からない。恐らく渡した相手にはそれがよく見えていることだろうと思う。悲しいかな自分の人間性の問題だけにまだまだ未熟としか言えない。時として心の絆が生まれることがあるけれど、こんなときは最高に幸せのときである。
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