2017年02月18日

最初は富士

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2月のカレンダーの写真を見て思い出したことがある。高校を卒業して上京し学校に通いだし、その時のクラスメート数名で富士山に登ったことがある。仲の良い友達として青森の林檎農家出身者と、その他数名と一緒だった。当時、全く山登りの経験はなく気軽な気分で出かけたことを思い出す。高山病や眠気でさんざんな目にあったが、下山の時の砂走りがとても快適だったのを覚えている。

帰宅して近くの銭湯で頭を洗っていたところ、真っ黒に汚れた水が流れて隣の客が驚いたのを覚えている。驚いた客は当時日曜日には必ず通っていた蕎麦屋の跡継ぎであとあと笑い話となった。富士登山は一つの気分高揚にもなったのか、何か大きなことを成し遂げた気分であった。その後、富士山に再び登ることは、今の今までなく過ごしている。

しかし、山歩きは当時の職場に日本山岳会員になった山登りが大変好きな人がいて、その人の影響からか丹沢、雲取山、中央アルプス、南アルプス、出羽三山、飯豊山、米国のウイットニー、欧州のアルプスと登ることになった。そのような山の魅力を味わうことが出来たのも、最初の富士登山の思い出がさせたのかもしれない。

山の頂に雪を抱く富士は絵になるせいか、毎年カレンダーでお目にかかれる風景である。我が家のベランダからも、冬の季節には遠くに見える時がある。特に正月の時期に眺める富士は、冬の寒さが身を引き締めて何か厳粛な気持ちを引起す。日本人にとって富士は神聖なものであり、誰もがあがめる山である。
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2017年02月17日

平和像

毎朝その前を通っているのに、あまり気にもかけていなかったようで印象に乏しかった。それが今朝は、午後から今年一番の暖かさが訪れるというこの時期に、公園の一角に立つ無垢な幼子をモチーフとした写真の像が気になった。

このところ世界中の新たな指導者の出現で、大きな話題があちこちの国で提供されて賑やかになっている。少しずつ世界中が波立って行くのを感じられるなかで、平和という意味を再確認させるようなシグナルだろうか。

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2017年02月16日

ネギの生命力

昨年暮れに故郷の兄から届いたネギのお礼の電話を入れたとき、根の白いところまで一緒に入れておいたので捨てないでベランダ農園に埋めて見たらとのアドバイスをもらった。それが一カ月ほどで緑の芽が出てきてから一カ月でさらに伸び収穫できるほど大きく育った。

しかし、如何せん素人の私が買って来た土は、ヤシの実を砕いて持ち運びに楽な軽くて水はけの良い割に栄養価の低い土だった。肥料も固形だったためか葉厚みがなくベランダ特有の強風にあおられて途中で折れてしまうのが出て来た。それでも、このところの寒波でベランダにも出たくない気候なのに実に逞しいネギの生命力である。
切り離した根を植後一カ月ほどの状態;
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更に一月後の状態の写真;
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2017年02月15日

知力とは

果たして知力とはなんだろうか。知の巨人という言葉も何らかの本で読んだことがある。多くの知識?学問?財力?具体的には何を示すのだろうか。なかなか正確な説明がつかないし、理解が難しい言葉である。そろそろ人生のゴールに達するであろう自分がそのことを完全に理解していないとは、情けないことではあるけれど。

ものの本によると知力の巨人といわれる人がいる。その名をピーター・ドラッガーというオーストリア生まれで米国移民となり米国の巨大企業のG.M.のコンサルとして名をなした人である。その人の書いた本の数々は組織や管理について述べてあり、それらを知る人にマネジメントの神様と言わしめるだけの内容の濃いものである。ビジネスに関する多くの書物を読み進む内に最後にはたどり着く本でもある。それだけ多くの人に読まれていることには間違いない。

自分も多くのことに取り組んできてはいたが、なかなか思うに任せないことが多かった。人はそれぞれ思い思いの考えのもとに、学び実践してなんらかの成果を出してこれまでの生活を支えてきたといえる。それでも更なる成果を上げる難しさは常に立ちふさがる。そんな時必要なのは、新たな知識でありノウハウであるかも知れないが、特定は出来ない。

ここで言う知力とは、この特定できない何かを感じ取ることの出来る能力ではないのだろうか。新たな問題、新たな挑戦、そのような時にこれらを乗り切れる知恵や知識等を生み出すことの出来る力が必要になります。それがここで言うところの知力ではないのだろうか。今の自分にそれが十分にあるとは言えないので、これからも求め続けたい。
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2017年02月14日

頭髪について

それが十分あるかないかでこれほど世の多くの男性に影響を与えているものはなし。それが証拠に頭髪対策が大きなビジネス市場になっている。いかがわしき育毛剤から、かつらや接着剤まで多岐にわたるビジネスが成立している。頭髪がないからとて気にする必要はないといいながらも、年齢が数年も老けて見られることは当人にとって気分が滅入ること。

ビジネスにおいても黒髪が少なく白髪が目立つのではなんとなく未来への希望が持てないと、相手に思われるケースが多い。それよりも、ふさふさした頭髪で真っ黒な太い髪質は、力強さと将来への希望がつなげるようなイメージを与える。それが頭髪の薄い人に育毛剤やかつらといったものへの憧れが、行動を促すので市場が膨らんだのだろう。

マズローは面白いところに着眼したものである。人間の要求は下位の要求が満たされると、その上の要求を目指すという要求段階説を唱えて有名になった。衣・食・住の生理的要求が整えば次に安全を求め、次に帰属の要求、自我の要求と続き、最後に自己実現の要求になるという。頭髪の要求は果たしてこれらのどの段階だろうか。

それらを全く気にしないと自他共に公言する自分でさえしっかりと白髪を染め、一躍有名になった米国生まれの育毛剤、リアップを使用してみたりしたことがある。頭髪の確保は、それだけ一人ひとりの心の中に住み着いている自我の要求だろうか。最近とみに頭髪が細く薄くなった自分を鏡で見るたびにため息に似たものが聞こえてくるこのごろである。
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