2017年03月06日

親切の意義

1963年東京大学の卒業式において、当時の茅誠司総長がその告辞の中で卒業生に贈った言葉がきっかけとなって小さな親切運動が始まったと言われている。人には思いやりと親切の心をもって接し、誰もができる範囲で困っている方には親切にしようという運動。人と人とのつながりは会話だけではないし、ましては金銭のやり取りだけでもない。そこに心通うものがあってこそ長続きするものであり、幸福感を得るための潤いでもある。

日々の生活の中で人々はどんなことを思い浮かべて生活を続けているのだろうか。それぞれの考えのもとに、あるいはそれぞれの習慣に沿って行動し、思考して人々に接しているのだろう。その結果がその人の評価となり取り巻く人の感情になんらかの影響を与えている。嫌悪感や親近感は接する人同士で異なるけれど、いずれにせよお互いの胸の中に小さな親切が存在しているかどうかも大きな要素の一つである。

私が最初に親切の意義に触れたのは社会に出たてのころのことである。それは日常のことは何もかも独りでやることに慣れていた頃、血圧を測定するためのマンセットを片手で反対側の腕に取り付けようとしていたとき、その人がすかさず手を伸ばし腕に巻きつけてくれた。それが自分で感じた小さな親切を最初に認識した瞬間だろうと今では思っている。

本当に些細な事ではあったが、これまで若い女性からこのような対応をしてもらったことがなかったこともあり、少々びっくりはしたけれど後からじわじわとうれしさが込み上げて来た。今をさかのぼる数十年以上も前のことだが、後々思い出すたびに心に安らぎを与えてくれる。残念ながら今はその人もこの世になく若くしてなくなられたとのことで寂しい限りだ。小さな親切とは、いつまでも心に残るこういうものかと再認識させられている。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする