2017年08月31日

徳川家康人生訓

若い頃読んだ徳川家康の印象はそれほど良いものでなく、当時彼の人生訓と言われた言葉を読んでもあまり気にいるものではなかった。しかし、高齢者となり人生も残り少なくなってくるとその意図とする彼の考え方に納得させられることも多くなってきた。

人の一生は
重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて、人を責めるな
及ばざるは、過ぎたるに優れり

慶長八年正月十五日
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2017年08月30日

青春の一時期

若いころ特別に感受性が高かったわけでもないと思うのに、他人から一寸した批判や陰口を言われては落ち込むほどの精神的な弱さを持っていたようである。次の言葉には何度も目を通したようで赤線がひかれて残っている。

<<人生を歩んだ人で、弱くなった時間を持たなかったためしはない。真に気高く、志操の高い、人類にとって貴重な人間とは、そのような時を全然ないしはごくわずかしか持たなかった人々ではなくて・・・それは通常、意気地のない気性のせいだ・・・そのような時に屈せず、それを見事に克服した人々のことである。彼らはそのような戦いと勝利を重ねるたびにいよいよ気高く、いよいよ練達となり、その国民全体も、また一般に地上での善の仕事も益をこうむったのである。ヒルティの言葉より>>
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2017年08月29日

未知の世界に向けて

未知の世界でもその環境が整うまで心の準備を続けなければならない。天の味方なしには成果が生まれないだけに時が来るのと運命の女神が微笑むかが、自分の未来に繋がるだろう。どちらにせよ折角この世に生を受けた身なれば、何としても前向きな気持ちで明るく全うして行きたい。その間は趣味の世界を生きることもよしとして進めよう。

退職後はNHK文化センターで念願のギター練習に取組んでいる。以前は折り紙コースを受講している。いずれもが時間の経つのも忘れるほどに没頭できるものでうれしい限りである。何かと人の気持ちを推し量ることで気落ちしていることを忘れさせてくれる二つの趣味である。ギターは今回が年齢的にも最後のチャンスである。

折り紙経験は数年間ほどのものだが、それでも夢中にさせてくれる。最初は5cm四方の紙で小さく折ることから開始して今は創作折り紙に取組んでいる。創作折り紙は自分なりにイメージできるようになれば絵を描くようなものである。これを是非とも身に付けて楽しみたい。それまではより多くの折方を学び自分のものとして活用できるようになりたい。

人生に仕事以外に趣味の世界があることは大きな財である。仕事だけでは壁にぶっかった時の対応の仕方が分からないが、趣味の世界があることにより心の余裕が生まれるので足場を二つ持つことになり、少なくとも横に倒れるようなリスクはなくなる。残りは前後の注意だけとなり安心感が広がる。そのことが趣味をより高く押し上げる元となる。

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2017年08月28日

団地夏祭り

毎年恒例になった当団地の夏祭りがあった、年に一度の夏祭りは年々寂しくなって行く。団地の築年が進むにつれて、活気があって賑やかだった子供達も大半が巣立ってしまった。残っているのは入居時期に元気な若夫婦だった人達が、高齢になり二人であるいは片方だけが細々と住み続けている。

しかし、この日だけは離れて生活する子供や孫も訪れて、団地広場に出来たお店で、高齢のジジ・ババと一緒に大道芸人の芸を見たり、ビンゴゲーム楽しんだり、神輿を担いだりとにぎやかな一日である。ありふれた日本文化を後世に継ごうと町内会で毎年開催される小さなお祭り、そこに平和な日本を感じる。
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2017年08月27日

当事者意識

現役時代に仕事をして行く上で必要と感じられたのが当事者意識である。会社という組織には何百何千もの人々が働いている。その中で手がけている仕事を本当の意味で自分の仕事であると認識している人がどの程度いるのだろうか。時として他人事のような気持ちで取組んでいる人を見るにつけ淋しくなっていた。そこにどんな違いがあったのだろうか。

人はそれぞれに食べるために仕事を持つ、あるいは興味に従って働いている。そのことはこの社会において生きてゆくという意味からも大切なことである。仕事が建設的で成果を生むものである限り多くの種類があることも事実である。自分の仕事も少々変わった仕事だったかもしれない。直接的な成果は何なのだと問われたら答えようもないものだったが。

これまで何億何十億の人々が生きて死んでいっただろうか。それぞれは又、時代に即した仕事を続けて生活を支えていただろうに今は何も残っていない。ただ一握りの人々は後世に伝えたいことを文字として残しているが、それも時代と共に消え行くものだろう。今を生きる我々はそのことを知ったうえでどう対処してゆくべきだろうか。

当事者意識、有意義に生きるには現在の活動を大切にしてゆく必要がある。当事者としての行動が今を生きる生活を支えている。いかなる高尚な思想があったとしても生きる糧がなければそれも続かない。当事者意識でもって仕事をするということが、その仕事の意義も高めてくれるし、生きることへの希望も膨らませてくれる。
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