2017年05月21日

ソロモンの箴言

学生時代に読んだ旧約聖書の中にあった一節だが、当時は何の意識も持たずに読み過ごしたものだ。今朝ほど何となく手を伸ばした別の本で引用されていた。あらためて読み直すと何となく味わいの或るものである。長い人生の中で見聞きしたことが意味することの理解に役立っているのだろうか。

知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。
知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、
その利益は精金よりも良いからである。

知恵は宝石よりも尊く、あなたの望む何物も、
これとくらべるに足りない。

その右の手には長寿があり、左の手には富とほまれがある。
その道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。

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2017年05月14日

お母さんへ

今日は特別な日、この日を待っていたようにバラ園のバラが一斉に咲始めています。母の日の今日は特別です。あまりに多くのバラが処狭しと咲き誇り、競って全国のお母さんに感謝しているようです。  母は全ての人々の心の故郷です。
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💛母さん生きていて! 私は古希、命ある限り捜します。現世で
一目逢いたい。
💛母ちゃん。泣きたい夜は、決まって母ちゃんが夢に出てくる。
背中を、押してくれる。
💛母さん、ありがとう。母さんが私を信じてくれたからこそ、
私も娘を信じぬけます。
💛母さん、米ぐらい自分で買うから、送ってこなくていいよ。
あと、タオルも。
💛お母さん、もういいよ。病院から、お父さん連れて帰ろう。
二人とも死んだら、いや。
💛お母さん、私は大きくなったら家にいる。「お帰り。」と言って
子供と遊んでやるんだよ。
💛お母さん、あなたの老いるのが悲しくて、優しくなれない私です。

💛お母さん。知らないうちにかぶってたゆうべのふとんありがとう。

💛お母さん、見栄はらないで本当のサイズ教えてよ。ブラウス選び
に困ります。
💛お母さん、八十二歳になりました。よい爺さんで、世に尽くして
おります。
💛おふくろ、しぬなよ。いいと言うまで死ぬなよ。親孝行が全部
おわるまで死ぬなよ。
(福井県丸岡町編集の一筆啓上より)
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2017年05月08日

我が故郷は

毎年この時期に故郷に住む兄と妹からの贈り物のチマキや野菜類の荷物が届く。兄が大切に育てた野菜類に妹の想いが伝わるチマキを詰め込んだ郵便物である。故郷を後にしている兄弟姉妹に毎年届けてくれるその気持ちが嬉しい。お互いに歳を取り残りの人生の方が圧倒的に少なくなってきて肉親を大切に思う気持ちが伝わってくるような贈り物だ。

チマキと言っても最近はあまり食べられていないようだが、自分の子供の頃はこの時期主食としてお腹を満たしていた。最後は固くカビの生えて来たチマキを囲炉裏で温めて食べたものである。食べるものが少なかった中で貴重なもち米と甘い黒砂糖でまぶしたきな粉をつけて食べるチマキは当時最高のごちそうであった。

もち米を竹の皮に包んで長い時間かけて蒸したチマキは、粘り気が出て美味しく食べられる。当時故郷では祖母が音頭を取って母や兄弟たちに色々指図しながら作り方を教えてくれたことを思い出す。今とは違いススで真っ黒になったカマドで、皆が其々の仕事を分担しながら出来上がったらいの一番に食べていたのも今は良き思い出である。

届いたチマキにキナコをまぶして食べながら、そんなことをひとつひとつ思い出している。“ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの”、確かに近くで何でも手に入る今の世においては、故郷で生活していてチマキを食べても思い出につながることもなく、今日の様な気分になることもなかっただろう。有難いかな我が故郷は遠きにありて思う。
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2017年04月19日

新人

今年も多くの新人社員が社会にデビューしている。新入社員は何もできないので人件費が重荷だと誰かが話していた。それでも会社が存続してゆくためには、必要な若い人材である。4月の入社式では緊張感につつまれた、多くの若い社員の初々しさが伝わってくる。中には写真撮影の時に、緊張のためか貧血で立っておれなくなった人もでたという。

懐かしいかな自分の新人の頃を思い出す。右も左もわからずただ人のすることを真似ていただけで、ついて行くのがやっとの田舎青年だった。それも何時ごろまで続いたのだろうか。気がついたときは失敗だらけでどん底の気分も味わった。それからが今の自分につながる生活の改善がスタートした。新人なればこそどん底を味わいそこから這い上がれる。

新人がたどって行く道は本人にとっては知らず知らずに過ごす道かもしれない。それほど強い動議付けがなく、意識の底に残っていることは少ない。それでも新しい若い力を見ると何かを期待したくなるのでおかしなものである。新人というその響きが心地よいのと、何か未来を秘めているというような響きがあるのかもしれない。
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2017年04月14日

八年前の今日

時の流れは加速するようで、この日からの8年間はあっという間の出来事のような思いである。若い頃から日記をつける習慣があったことで、今はそれが加齢と共に薄れゆく記憶を思い出すのに役立っている。残念なことは、当時熱帯植物が好きで良く通った温室植物園がなくなったことである。そして今はそれがバラ園になっている。

<<晴れの日曜日久しぶりに運動靴を履きカメラを持って外に出てみた。何とあたたかい陽射しだろう。これまで休日となると引きこもりを続けてきたのが、勿体無い気持ちでいっぱいになってしまった。自宅マンションのすぐしたが、四季の香公園でいろいろな花が咲き乱れている。もう桜は散ってしまったが、スミレが彩りを添えて道端に咲いている。

これも久しぶりだろうか温室植物園に入って熱帯植物を見て廻る。こちらも見られない花を咲かせて活き活きしている。ひとしきりカメラで写真をとりまくる。その後、中庭で絵筆を持ってそれぞれ思い思いの絵を描いている年配の方々の前を通り、花と緑の相談室で行われている盆栽展を見学する。何かと詳しいお年寄りが、一つ一つ解説をしながら案内しているのを隣で聞き耳を立てる。いつか仲間に入れたら嬉しいものだ。

これまで散歩といっても自転車でのサイクリングが殆どであった。広い公園内を端から端まで自転車に乗って廻るだけで、何の会話もなくただペダルを踏んでいた。それでも気分転換にはなって一応の満足は得ていたが、今日は思い切り運動靴で歩いてみた。公園のベンチにも座ってみた。花の写真も撮ってみた。旧友にも電話してみた。大きな木下で蟻と戯れた。全てが春の暖かさの中の出来事になった。

散歩は退職後の楽しみの一つになりそうだ。自然の中に生まれ出る生き物や植物が、自分の気持ちをやわらげてくれる。神が全ての生物に与えられたものの中で、ゆとりある散歩ほど気持ちの良いものはないだろう。特に、自分のように生きて来た人間には、節度ある人生であったことが、今日のような散歩を、最高の贈り物として受け取れることが嬉しい。>>
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