2017年11月23日

コウさんの記憶

二週間近くも寝て過ごすと色々なことが記憶の中から呼び戻されるものである。そして今は元気だろうか、如何しているだろうかと思いでの数々が連なって出てくる。

コウさんに空港であった。
コウさんはとびっきりの美人だった。
コウさんは実に気のつく人だった。
コウさんは日本語が巧かった。
コウさんは東京に住んでいたという。
コウさんの出迎えはうれしかった。
コウさんには仕事で中国各地を案内してもらった。
コウさんはその日から憧れの的になった。

コウさんは母子家庭で息子がひとりいた。
コウさんには自慢の息子だった。
コウさんの息子は空港に勤務した。
コウさんの兄の話もあった。
コウさんの兄は東欧で仕事をしていた。
コウさんは自他共に厳しかった。

コウさんは義理堅かった。
コウさんはお土産にはお土産で返した。
コウさんの気遣いは日本人以上だった。
コウさんは謙譲語の使い分けまでできた。
コウさんは声が大きかった。
コウさんはスタイルが抜群だった。
コウさんは仕事に真剣に取組んだ。

コウさんが総務部長になった。
コウさんは人事の仕事が苦手だった。
コウさんは同僚に悩み始めた。
コウさんが辞めると噂に聞いた
コウさんを引き止められなかったと聞いた。
コウさんからメールが届いた。
コウさんに淋しいねと話した。
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2017年10月31日

伊佐会

台風22号の余波で雨の降る日、お茶の水の東京ガーデンパレスまで出かけた。毎年この時期に同じホテルで、故郷の伊佐市出身で関東地区に住む人々が集まる伊佐会が開催される。伊佐市は人口僅か26,700人の小さな市でこの光が丘に住む人口より少ないところです。

いまでも国内最貧県として最下位を争っているだけに若者の殆どが故郷を出て働いています。その内の関東地域に住み着いた人々の集まりとして毎年開催されている。遠く離れた故郷の市役所からも関係者が故郷の焼酎、サツマイモ、みそ、コメ等の故郷のお土産を持って参加し故郷の今を伝えて心の奥底にある参加者の故郷への想いに応えています。会場では勿論故郷の方言以外使わないことになって思い出を語り合う。
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今年も同じ郷土出身の落語家が出演しハンヤ節の踊りが始まるころになると、出席者全員が立ち上がり両手を頭上に挙げてリズムに乗せて踊り始める光景には眼がしらを熱くさせてくれる。今年も卒業以来半世紀振りの懐かしい出会いがあった。伊佐市議会の副議長になっていた高校の同窓生が故郷からわざわざ出席してくれていたり、高齢で出席できなかった幼馴染の兄弟が出席し現在の様子を知らせてくれたりと楽しい一日だった。
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2017年10月11日

山行八ヶ岳

朝夕の涼しさが増しブログ仲間が素晴らしい紅葉写真をアップしている。ついつい山行が恋しくなり現役時代の最後に上った時のメモをいつの間にか読み返していた。

朝4時に目が覚める、6時の朝食まで今日の服装の準備等でのんびり時を過ごす。ご来光が見えるというので外に出たが、寒くて出てくるまで待ちきれず一旦小屋の中に戻りストーブにあたる。誰かが体内酸素濃度を測る機械を持ち込んでいたので調べてもらうと、一度目は80で2度目が正常範囲の88になってホッとする。機械の精度を疑いたくなるけれど自社製品ということで文句言えず。

硫黄岳小屋を7時に出発して横岳に登る。途中アルプスのそうそうたる頂が見えて感動する。山はやはり自分にあっているようだ。横岳は岩肌の露出した険しい道ではあったがチェーンがついており特別に危険を感ずるほどもなかった。頂から見る絶壁がなんとも言えないほど山に来た感覚を呼び戻してくれた。

横岳から三叉峰を通り尾根沿いに登山口までの5時間程度をひたすら景色の見えない山道を降りることになったが、湿った登山道でもあり足をとられることもあった。これも一つは足首が弱っているせいでもあるのだが認めたくない性分で困ったものだ。グループ58人の中でも年寄りグループの我々が最後尾になってしまったのは致し方ないことだろう。

以外なことは温泉に行くことになったことだ。これまで山に登った後に温泉に浸かるというようなことがなかっただけに実に素晴らしい経験をさせていただいた。最高に気分の良い贅沢な時間である。現役最後の一般山行を無事に終えて思ったことは事前の準備を怠らないように。特に次回は靴のしっかりしたものと寒さ対策、ドリンク剤、服装、カメラ、食べ物だろうか。
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2017年09月23日

コスモス畑

広大な光が丘公園でコスモスが咲いているのは芝生広場の小さな花園とここの二カ所だけのようだ。今年も黄色い花が一面に咲き始めた。夏場は昆虫広場として草ボウボウになっているのだが、秋口になると花が咲き始めて改めてここにコスモスが毎年育っているのに気づかされる。
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コスモスで思い出すのは九州の故郷の一地方で、苦労して代々引き継がれて来た畑がさま変わりして一面コスモス畑として変化していた。少々さみしい話だが当時の貧しい生活から抜け出そうと若者のほとんどが村から出て行った。そのため村の人口が大きく減り、今では誰も耕す人がいなくなった。後に残った村人の誰かの発案だろうが、畑全体にコスモスの種を蒔いたらしく、それが地方新聞に写真付きで紹介されて一時賑わったが、今はどうなっているだろうか。
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2017年09月19日

パソコンとの出会い

いつから始めたと言えるのか自分のパソコン人生、浜松町駅から羽田空港までの東京モノレールの流通センター駅で開催されたコンピュータショウでアップルのリサとマッキントッシュに出合ったのが印象に残る。それまでのコンピュータは十六進法で記号だけを使ってしか出来ないものだったが、上記アップルから出た製品は当時画期的で人間の理解に合わせた自然な使い方が出来た。それだけ強いインパクトがあったように思っている。

キャノンが総代理店で東京の三田にそのショウルームがあるということで出かけたものの、当時60万円以上の価格がついていた。それでも欲しいと個人で買うことを考えていた。日本での発売が間もないころで国内には600台程度しか出荷されていない時期であった。そうこうする内に転勤の話が急遽持ち上がりキャノンでの購入を諦めることになった。

転勤先で仕事上でパソコンを購入することになり、いの一番にあげた機種がマッキントッシュであった。会社で未だ誰も入手していないときだけに、当時の幹部も一緒に欲しがり5台程度をまとめ買いしたのを思い出す。これも自分に与えられた一つの運命の出会いだったかも知れないそんな気がする。その後、個人でもマッキントッシュ、マックプラス、パワーマックとアップグレードして使い続けたことが懐かしい。

パソコンで覚えたワードやエクセルそれにパワーポイントのソフトはいろいろな場面で利用して仕事に役立てることが出来た。これも時代の流れの中で積極的に取り入れたことが幸いと言えるのではないだろうか。特にパワーポイントを覚えたことが大きかった。その後の自分の人生を変えることにもつながったと思う。このソフトを使い自分の考えを伝え多くの人の賛同を得られたからだろうと思う。

私のこれまでの人生でパソコンがなかったとしたら何が残っているだろうか。現役時代に成しえた多くの仕事がこのパソコンなしには語れないし、パソコンがあったればこそ可能になったといえる。退職後も未だに手放されず自宅でのブログ作成・各種ネット検索・知人のブログ訪問等もこのパソコンを通じて表現・交流し、そして一日が終わる生活が続いている。これも自分に与えられた一つの運命との出会いかも知れないそんな気がしている。
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