2018年06月12日

回復(現役時代のメモより)

出張から帰国後に発病した高熱と下痢の続く一週間は久しぶりに健康のありがたさを感じさせるものであった。きりきりと痛むお腹を抱え、頭には氷嚢を当てて39.4度まで上がった体温を冷やすそんな日々が続いた。おまけに飲んだ下痢止めの副作用の強さは強烈で立つことが出来ないほどのめまいを伴って苦しめた。

原因については同じような経験を持つ国内大手運送会社の人よりお聞きした話ではビールスが原因とのことである。出張中に取り込んだビールスは帰国してからも2−3日は体内に残っているために起すとのこと。それも生魚が大好きなビールスで帰国直後に刺身でも食べたらてきめんに起こる当該国では普通に知られている病気であるとのこと。

不覚にもそのことを知らずに帰国した夜に食べた刺身、それが今回の失敗の原因であったとは情けない。それにしても良い経験をしたものである。自分としては同じ失敗を二度としないように気を引き締めて対応しなければと思っている。これからも何回かは現地に飛ぶことになるだろうが、食べる食事だけでなくその後の対応についても重要である。

いずれにせよ一週間もの長い腹痛から開放された気分は最高に嬉しいものである。とにかく食事が美味しくて、これほどの幸せはないといえるほどの気分である。見るもの聞くもの行動するものの全てが新鮮で心躍る出来事になっている。病気をして初めて健康のありがたさが解るというけれど全くその通りであるといわざるを得ない。健康よありがとう。
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2018年06月11日

人前で話す(メモより)

新入社員への講義を一時間二十分行った。今回は個人的に収穫が多くうれしいものとなった。新入社員の一人ひとりの顔が見えて話が出来たということ。全くあがらず自分のペースで思うように話せたこと。これまでの人前で話すことを不得意と極力避けてきたことが嘘のようなものであった。果たして相手にはどのように思われたかは知らないけれど。

真剣に興味深く関心を示しているもの、何かを期待しているような顔、全く眠りこけている顔、その横でつついている顔、まじめくさって聞いている顔、いずれの顔もそれぞれの顔を示して聞いていてくれる。ありがたいかな今回の講義目的は自分の心構えを確認する目的になってしまったようだが得ること多く次に行かせる自信になった。

人前で話すということにどちらかといえばこれまで感情、あるいは気分の高まりが強くて話す内容については殆ど対応できずに失敗ばかりが続き気持ちが滅入り人前で話すことに自信を失い,あがり症となっていたのではなかろうか。それを今回の新人研修に組み込まれた講義が少し前に得た“一人ひとりに話しかける”という考えを知って試す機会を狙っていた自分にぴったりと当てはまったといえる。

今回の講義はその意味でも大変意義深い講義となった。これを機会に人前で話すことの苦手意識を払拭してゆければありがたい。自分自身が成長して行く為にも是非とも必要な関門だったに違いない。決して後戻りの出来ない道だけにしっかりと身につけてゆかなければならないものである。人前で自由に話せるということの大切さを。
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2018年06月08日

還暦で出会った詩集

家族が話題にしていた一冊の詩集を買ってきた。故郷の義母に送るのだという本を読ましてもらった。“くじけないで”というタイトルの詩集で94歳の柴田トヨ著、飛鳥新社。何がすごいかといえば人の気持ちにすいすいと入り込んでくるけれど、全く清々しいそよ風のような雰囲気でその余韻が素晴らしい。これほどの高齢になってもしっかりした詩集には驚かされてしまう。

当時自分はアラカンで少々忘れっぽくなったかなと思っていた、自分がこれから30年後に同じような頭脳を持って生きているだろうかと思わずにはいられない。詩の内容は特別なものではなくごくありふれた日常の家族の思い出だったりすることが多く、題材に凝っているわけでもないのになぜあれほどの清々しさなのだろうか。

自分の人生にも一時詩歌への関心があった時期があったけれど、それも知人のいたずらのためかきっぱりやめてしまったことがある。又、社会に出て寂しさを紛らわすために始めたが、それも心無い先輩の批判のためやめてしまった経験がある。それ以来全くこれまで関心を向けることはなかったが、家族が話題にして購入してきた本で読む気になったのだ。

短い文章につづる言葉がこれほど人の心を動かすのはなぜだろうか。言葉一つ一つの選択が優れていることと、そこから湧き出るイメージが強烈に読む人の心を捉えるからではないだろうか。人はそれぞれの人生の中で多くの思い出を溜め込んでいる。そのどれかにつながるような言葉とそこから連想される思い出が共感を呼ぶのだろう。私もそのようなものを持って世の人々の心を魅了してゆきたいものである。
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2018年06月07日

愛妻

偶然八年前の六月五日の日記が標記のタイトルになっているのを見つけて開いて見た。こんな内容の日記に成ったのは状況が、海外出張後に高熱と下痢で一週間ほど苦しんだ時に世話になったのがいたく感じたのだろう。今読んでも少々照れくさい内容になっていた。

『今回ほど妻の愛情を感じたことはない。確かに自分の不摂生で体調を崩しかれこれ一週間ほど腹痛と高熱で家で寝てばかりの生活であった。その面倒を一から十まで看させられる妻にとっては大変なことである。それを気持ちよくやさしく気を使いながら対応してくれる。本当にこれが長年付き合って来た自分の妻かと思わずにはいられなかった。

クリニックへの予約から送迎まで、はたまた薬の受け取りと手伝ってくれた。家にいて至れり尽せりの介護で氷嚢の取替えや体温検査、それに肌気の取替えやおまけに体を拭いてくれる。実にありがたいことで腹痛と高熱が続かなくてもこのまま妻の世話になっていたいと思うほどだ。元気な妻は愚痴もこぼさず機知に富んだ言葉で楽しませる。

確かにこのところ自分は少々自惚れがありすぎるところがあるのかも知れない。人は誰でも分を外れたところに問題が生じるという。自分の場合そのことがいえるのではないか。何事も最高の仕事をと自惚れがありそれと相反することがあると極端に失望する気持ちが起きてくるそれが多くの場合体調不良につながっているような気がする。

病気して初めて身にしみる妻のありがたさかな。誰かの言葉であるかもしれないが実感として感じられる言葉である。自分の不始末から病気になりそれを妻に支えられて治しているそんなパターンがこれまでの人生だった。そして今回もそれを強く感じたところである。我が愛妻ありて今の自分があること、これだけはどんなことがあっても失いたくない宝物である。大切にしてゆかなければならない大一級の人である。』
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2018年05月28日

黄色シグナル

毎朝ウォーキングで通っている銀杏通りでふと目にした花だが、通り過ぎてから気になってもう一度戻ってみると、今の自分を撮って欲しいと言わんばかりに満面の顔を向けている。真っ黄色の単純な花で名前など全く憶えの無いものだが、目立たない場所でしっかりと自己主張しているような花である。
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むかし読んだリーダースダイジェストに、バスで旅行中の筆者が臨席に座っていた初老の男性に次のバス停で黄色いリボンがあったら教えて欲しいと頼まれた話が思い出された。何十年振りに妻の元に帰るのだが、帰る前に妻に手紙を出してもし今でも帰って良ければバス停に黄色いリボンを置いて欲しい。帰らない方が良ければ何も置かなくて良い、自分は黙ってそのままバス停で降りずに通り過ぎることにする。二人の間に何があったか知らないが男性は自分ではリボンがあるかないか見る勇気がないと話して次のバス停まで顔を伏せたままであった。次のバス停に到着すると、黄色いリボンが無数に置かれているのを見て男性に告げると静かに立ち上がり黙礼してバスから降りて行った。
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