2017年03月18日

交渉事

我が人生の中でどれくらい交渉の席についただろうか。現役時代の仕事柄今でも夢に出てくることがある。それらの一つ一つが、今は走馬灯のように思い出となって記憶の中でぐるぐる回っている。果たして自分が出した結論が時を隔てた今になってどのような結果を生み出しているだろうか。成果となって現れているのだろうか、又、誰がその評価をするのだろうか。一人になって振り返って見て満足行くものであってほしい。

当時は交渉ごとはすべて相手があって成り立つものであるだけに、相手に対しても公平な対応を考えて上げることが重要だと考えていた。ビジネスの世界にはWin/Winという言葉かあるけれど、お互いがなんらかの利益を得られると思える対応が大切ではないかと思う。そのことが、交渉においては最も大切で気にかけなければならないことだろう。それがこれまでの交渉事で少しでも実現していることを願っている。
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2017年03月07日

給料日の思い出

社会に出て会社から給料をもらうことになったが、その仕組みさえ満足に理解していなかったような気がする。それほど自分は無知な世界に生きていたような気もするが、今ではそれも人生の通り道であったような気がする。人は働き金を得てその金で何かを得るというサイクルを繰り返しているのだろうとその仕組みを漠然に思っているだけだった。

当時月末の25日と言うのが給料日だったことを思い出す。月末になるとお金がなくなり淋しいものであった、しかし、25日は特別な日で現金で貰っていたのが嬉しくてたまらなかった。初任給1万7千5百円という時代に手取りが半分程度ではなかっただろうか。税金その他の天引きの後、下宿代の3千5百円それに会社での三食分の食事代が消えて受け取る金額が数千円だったように思う。確かに今ではどうにもならない金額ではあるが、当時はそれで独り身の生活を支えていたことを思えば贅沢なものであった。

その後、給料は銀行振り込みとなって自分の手に残らないこともあり、給料日がその後特別にならなくなってしまったが、その響きだけは嬉しいものである。退職した現在、給料日はなく何日だったのかも分からない。最近では格差社会とも言われているようだが、それも仕組みの中に隠された理由があるのだろう。
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2017年03月05日

有難う足温器

足温器と言えば故郷の牛小屋の二階に住んでいた頃を思い出す。ベニアで仕切りをつけただけの部屋を勉強部屋と呼び、手製の孟宗竹のベッドと長年使い古した食卓に足をつけた机とそれにこれも自作のイスを持ち込み畳二畳の勉強部屋が出来上がった。其処にはソケット一つの裸電球と古い真空管式のラジオのある個室の出来上がりだった。当時それは自分にとって最高の部屋であり多くのことを残してくれている思い出の部屋である。

高校時代の多感な時に過ごした部屋には、今は不思議にも思える海外の有名な場所を写した写真が貼ってある。そのどれもが将来自分が訪問することになる場所とは当時思いもしなかったのに今それが実現してみて初めてその不思議さを思う。憧れにも似た思いを伝えきれずに過ごした当時の思いもそのまま残っており懐かしく思えてならなかった。

足温器はそんな部屋での唯一の暖房であった。練炭一個を詰めたものを机の下に置き座っている間中足を温めていたのを思い出す。それはなんともいえないほどの贅沢感であった。お陰で勉強もはかどり高校時代の成績はそれほど悪いものではなかった。その足温器も一度火鉢に換わったこともあるがあまりの熱さで畳が焼けてしまったこともあった。それよりも今考えるに当時の無知が命を落としかねない状況であったことが怖い。一酸化炭素中毒という最も危険な状況にあったことなのだが。

その後、独身時代に贈ってもらった足温器は有難かった。自分の部屋に、中野の6畳アパートでは最高の贈り物となり長年愛用させていただいた。いろいろな場所で足温器は自分の生活を支えてくれた。今は最新の技術を備えたパネルヒータが自分の部屋に足温器として働いている。それが自分の生活はいかに足温器を必要とし、足温器なしでは成り立たないかを物語っているようである。ありがとう足温器。
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2017年03月02日

大切な友人

自分には友人と言える友がいる。大変有難いことに何時電話しても全く変わらぬ応対で飾り気が無いのが良い。どんな話でも受け止めてくれるし、なんと言っても話をした後の気持ちの落ち着きが得られるのが嬉しい。時としてストレスを重ねて落ち込むことがあっても彼と話すことで全てが消えてしまっている。それは何にも変えがたき大切なものである。

大学に入学した時が彼との出会いであった。同じ故郷と言うことで声を掛けてもらったのが最初であったと思う。その後何となく話をするうちに語学に対してお互いに興味があることを知り、日曜日には牧師のうちに英語を習いに行くようになり、いつの間にか教会を建てる手伝いにも関わりあっていた。その教会は今でも活動を続けているようである。

人類だけが信じている宗教は、これまた大きな力を持ち多くの人々の心を掴んで放さない。人々は信じる宗教の名のもと、自分の世界から他の世界への伝道者となって移動している。我々が接した牧師も米国籍を持つ人で米国の教会から日本に派遣された人であった。今はリタイアしてバルチモアの地に余生を送っておられるようである。

何が今の自分を形づくっているのだろうか。これまで多くの人々と接して来た。その中には二度と会うこともないことになった人もいる。生き残っている自分はこれから先をどう生きて行くのだろう。今現在いつでも連絡できる友も限られている中で、何を求めてこの世の中で生活をしているだろう。多くの場合それは楽しみではないだろうか。人と人との交わりや思い出をつなぐ心のやりとりではないか。今はそんな気がしてならない。
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2017年02月20日

喫茶店との付き合い

昔は、と言っても自分が中学生か高校生のころではあるが、喫茶店に入るのは当時不良がやることと言うような風潮があり、当時真面目な自分は看板を見ることさえ罪なことのように思えた。そんな訳で田舎にいるころは、一度も喫茶店に入ったことがなかった。それが今では時間を持て余したとき、人との打合せの折に良く使う場所となっている。

喫茶店との出会いは恐らく入社間もないころ、ハイキングの帰りに新宿の地下街にあった店に行ったのが最初だった。会社の先輩達と一緒に入り珈琲を飲み何と苦くてまずい飲み物だと思った。その後、ルノアール、上高地、大門等、今では古い名前の喫茶店に行っていた。今は昔のことで誰と何故いったかまったく思い出せないものばかりである。

自宅で日経新聞をとっているが、その最後のページに私の履歴書という欄があり、毎朝楽しみにしている。これまでビジネス上で時の人となった人々が一カ月間にわたり自叙伝を執筆している。その蘭でドトールの創立者の番があり、設立までのドラマを読んでから何となく記憶に残ったせいか最近は近くのドトールに行くケースが増えている。

もう一つは練馬に出かけたときにはデンマークの二階が定番の喫茶店である。一階がパン屋を兼ねた店で大好きなアンパンを一つ買い求め、二階で珈琲を注文して、窓際のカウンターに座る。駅前の人通りを眺めながら待合わせ等で時間調整が必要な時に便利だ。アンパンと珈琲の組合せは絶妙で一時の時間を過ごすのが至福のときとなっている。
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