2018年02月02日

北上夜曲

ユーチューブでギター演奏を探していたらひょんなことから我が青春時代の想い出深い曲の一つである“北上夜曲”を見つけた。淡い想いを寄せた娘が通ると電柱や物陰に隠れるほどのシャイな自分だった。そんな気持ちを歌詞にして美しいメロディに乗せたこの曲を聴く度に胸が締め付けられた想いをしたものである。カラオケに行っても歌えないのにリクエストし、感傷的な気分は今でも昨日のような出来事として思い出される曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=d4UgprZwdPc
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2018年01月16日

八ヶ岳連峰に

十数年振りに参加した八ヶ岳連峰への一泊二日の一般山行に参加し、八ヶ岳連峰の硫黄岳(2760m)と横岳(2829m)に参加したときの日記が出てきた。あれほど好きだった山歩きをこの数十年間、仕事の関係から遠ざかっていた。そのためか久し振りの山行にとても期待していた。朝の五時に起床、六時五十分までに新宿の集合場所に向かった。

最近は山行きも大変便利になっており、バスで茅野付近まで行き、そこからタクシーに乗り替えて桜台まで行く。途中タクシーが急坂でエンコしたため、後ろから押すことになった。登山道に入ってからは霧がつよく夏沢鉱泉で昼食をとりオーレン小屋について小休止してトイレを借りる。どういう訳かこんな山奥にAEDが納められていた。

オーレン小屋から硫黄岳の道は登山道になり、久しぶりに山の苦しさを感じるも足が弱まっていることを知らされる。とにかく登りがきつく、今にもへたばりそうな状況で硫黄岳の山頂につく。そこから今夜の宿である硫黄岳山荘までは石ころだらけの道を歩くこと20−30分だろうか。最近の山荘は実に快適で平地にいるのと変わらない便利さである。

夜は東京芸術大学の教授をしているという人がカンツオーネを歌ってくれて楽しんだ夜であった。自己紹介をさせられたが機転の利かない自分を思い知ることになった。こんな時ほどしっかりと自分を語れる人間でありたいと思う。山小屋の夜は早い、8時には消灯となる。風薬のパブロンSを飲み耳栓して床につく、お陰で朝までぐっすり眠れた。
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2018年01月12日

父のこと

父は本当に寡黙な人であったと思う。殆ど怒られたことのない子供時代に、同時に思い出すのが話をしたことが殆どなかったことだろう。小さいころは囲炉裏の傍で良く父の膝で一緒に過ごした思い出がある。それ以外は藁で作るむしろを毎日織っていたのが思い出される。夜はそのためか足で踏むマッサージをさせられたのも思い出として残っている。

仕事を手伝うときにも何かをやるにも、殆ど黙って話そうとしない父がそこにいたような気がする。別段話さなくても良いだろうというような感じで黙々と仕事をしていたようだ。特別にキセルで飲むタバコを美味しそうにしていた。一度だけ川魚釣りにつれていって貰ったことがあるが、そのときもそれほどインパクトのあるものでも無かったが、妙に鮮明に覚えているのが面白い。

高校に入ってからは若くして亡くなった母にかわり、家族の食事作りも加わったが何一つ感情の乱れもなく村人から出来た人といわれ満足している様子であった。海軍に長年勤めてアジア各国の港を訪問したこと以外、淡々とした生活を続けて特別に強い意志があるわけでもなかった。貧乏な家計の中で今思うに申し訳なかったと思うが、長距離通学にバイクをねだる自分にも怒るこることなく対応してくれた。

自分自身の生活を楽しむというようなことも無く歳とってからは妹の世話になったが、寂しがりやで妹をいつまでも嫁がせたくない気持ちで過ごしていたようであった。つまり父は寡黙で家族には影の薄い存在であったような気がする。親子とは良く似てくるもので自分もいつの間にか寡黙になって来たと思うこのごろである。
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2017年11月27日

読書の効用

随分と昔に読んだ本で山と谷という本の翻訳本を入手して、一時間ばかりで読み終えてしまった時のメモが出てきた。それ以前に読んで感銘を受けた“チーズはどこへ消えた?”を書いたベストセラー本と同じ著者でスペンサー・ジョンソンという人だ。二匹目のどじょうを狙ってページ数も同様に短く非常に読み易い本であった。

今回の山と谷という本は不況時を想定しながら書かれたような内容である。一人の若者が不況で全てが上手く行かず落込んだ状況にあり、ある日思い立って一日山に登り、山で暮らす老人に教えを受けるという想定で書かれた内容の本だ。現実世界に当てはめると谷底の惨めな生活をしている若者が、山の頂に暮らす裕福な老人にそこに至るまでの考え方をどのように取得するかを聞いて実践して成功する内容である。

自分の人生に照らし合わせた場合どうなのだろうか。出発は勿論自分も谷底であり厳しい状況にあった。そんな中で学ぶことで知識を得ていたような気がする。それが成果となり山登りを始めたのは四十歳代になってからではないだろうか。低いながらも山に登ることが出来たが、次の山に入る前に谷に落込んでしまった。本によると抜け出す方法は恐怖から逃げないということだった。

話の内容は異なるものの谷底で暮らす人々の状況は現在も同じであり、それをどのように改善してゆくかを感じさせるように導いた本である。前作で読んだチーズの話と同じような物語風ではあるが、前回はねずみが主人公であった。今回は若者が成功し山の頂で暮らすようになり、教えを乞うた老人と同じ立場で次の世代へと話をつなぐところまで書かれている。ここで身に付けようとしたのは何事にも精神を縛られない行動だった。
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2017年11月26日

好物の豆考

納豆を食べ始めたのは就職で東京に出て来てからである。それまでは“ナットウ”と聞くと甘い豆菓子しか思い浮かばなかった。納豆というネバネバの強い食べ物があることを知らなかったわけではないが食べたことはなかった。小さい頃に読んだ漫画雑誌の中で、納豆のネバネバで身動きが出来なくなる場面を見たことがある。そのときは水をかけて逃れるところまで描いてあったような気がする。今思えば大げさすぎる話ではあるが、当時は何の不思議も感ぜずバナナの皮で滑って転ぶ話同様に信じていた。

最初に納豆を食べたのは会社の食堂であった気がする。入社当時の独身時代は朝昼晩と三食も会社で食べていた。朝食のメニューで納豆を始めて口にした時はかび臭く感じたものである。其のうちに生卵を混ぜることを知り、甘さの出て来た其の味に虜になってしまった。毎朝ジョギングしシャワー後の空腹にとても美味しい食べ物となった。それ以来の毎朝の食事に伴うこととなった。

納豆がどんなに滋養の富む食料であるかはずっと後になって知った。まずもって植物性たんぱく質であること、血液さらさらの機能があること、口臭を取り除いてくれることおまけに頭の回転を良くしてくれること等。最後の頭の回転機能は少々?ではあるが、多くの利点を持った食物であることには違いない。そしてこの歳になる今も毎朝納豆ご飯を食べている。

わが人生は納豆を食べることで体調を維持してきたようである。納豆に使われる大豆の対称的な小豆という豆もある。こちらはパン類の中で最も多く食べた、アンパンのアンに使われている。ふっくらと焼き上げたパンの中に甘い小豆のアンは、最高の日本独特のパンである。大豆に小豆は両方とも当方にとっては欠かせない食べ物である。
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