2017年11月27日

読書の効用

随分と昔に読んだ本で山と谷という本の翻訳本を入手して、一時間ばかりで読み終えてしまった時のメモが出てきた。それ以前に読んで感銘を受けた“チーズはどこへ消えた?”を書いたベストセラー本と同じ著者でスペンサー・ジョンソンという人だ。二匹目のどじょうを狙ってページ数も同様に短く非常に読み易い本であった。

今回の山と谷という本は不況時を想定しながら書かれたような内容である。一人の若者が不況で全てが上手く行かず落込んだ状況にあり、ある日思い立って一日山に登り、山で暮らす老人に教えを受けるという想定で書かれた内容の本だ。現実世界に当てはめると谷底の惨めな生活をしている若者が、山の頂に暮らす裕福な老人にそこに至るまでの考え方をどのように取得するかを聞いて実践して成功する内容である。

自分の人生に照らし合わせた場合どうなのだろうか。出発は勿論自分も谷底であり厳しい状況にあった。そんな中で学ぶことで知識を得ていたような気がする。それが成果となり山登りを始めたのは四十歳代になってからではないだろうか。低いながらも山に登ることが出来たが、次の山に入る前に谷に落込んでしまった。本によると抜け出す方法は恐怖から逃げないということだった。

話の内容は異なるものの谷底で暮らす人々の状況は現在も同じであり、それをどのように改善してゆくかを感じさせるように導いた本である。前作で読んだチーズの話と同じような物語風ではあるが、前回はねずみが主人公であった。今回は若者が成功し山の頂で暮らすようになり、教えを乞うた老人と同じ立場で次の世代へと話をつなぐところまで書かれている。ここで身に付けようとしたのは何事にも精神を縛られない行動だった。
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2017年11月26日

好物の豆考

納豆を食べ始めたのは就職で東京に出て来てからである。それまでは“ナットウ”と聞くと甘い豆菓子しか思い浮かばなかった。納豆というネバネバの強い食べ物があることを知らなかったわけではないが食べたことはなかった。小さい頃に読んだ漫画雑誌の中で、納豆のネバネバで身動きが出来なくなる場面を見たことがある。そのときは水をかけて逃れるところまで描いてあったような気がする。今思えば大げさすぎる話ではあるが、当時は何の不思議も感ぜずバナナの皮で滑って転ぶ話同様に信じていた。

最初に納豆を食べたのは会社の食堂であった気がする。入社当時の独身時代は朝昼晩と三食も会社で食べていた。朝食のメニューで納豆を始めて口にした時はかび臭く感じたものである。其のうちに生卵を混ぜることを知り、甘さの出て来た其の味に虜になってしまった。毎朝ジョギングしシャワー後の空腹にとても美味しい食べ物となった。それ以来の毎朝の食事に伴うこととなった。

納豆がどんなに滋養の富む食料であるかはずっと後になって知った。まずもって植物性たんぱく質であること、血液さらさらの機能があること、口臭を取り除いてくれることおまけに頭の回転を良くしてくれること等。最後の頭の回転機能は少々?ではあるが、多くの利点を持った食物であることには違いない。そしてこの歳になる今も毎朝納豆ご飯を食べている。

わが人生は納豆を食べることで体調を維持してきたようである。納豆に使われる大豆の対称的な小豆という豆もある。こちらはパン類の中で最も多く食べた、アンパンのアンに使われている。ふっくらと焼き上げたパンの中に甘い小豆のアンは、最高の日本独特のパンである。大豆に小豆は両方とも当方にとっては欠かせない食べ物である。
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2017年11月23日

コウさんの記憶

二週間近くも寝て過ごすと色々なことが記憶の中から呼び戻されるものである。そして今は元気だろうか、如何しているだろうかと思いでの数々が連なって出てくる。

コウさんに空港であった。
コウさんはとびっきりの美人だった。
コウさんは実に気のつく人だった。
コウさんは日本語が巧かった。
コウさんは東京に住んでいたという。
コウさんの出迎えはうれしかった。
コウさんには仕事で中国各地を案内してもらった。
コウさんはその日から憧れの的になった。

コウさんは母子家庭で息子がひとりいた。
コウさんには自慢の息子だった。
コウさんの息子は空港に勤務した。
コウさんの兄の話もあった。
コウさんの兄は東欧で仕事をしていた。
コウさんは自他共に厳しかった。

コウさんは義理堅かった。
コウさんはお土産にはお土産で返した。
コウさんの気遣いは日本人以上だった。
コウさんは謙譲語の使い分けまでできた。
コウさんは声が大きかった。
コウさんはスタイルが抜群だった。
コウさんは仕事に真剣に取組んだ。

コウさんが総務部長になった。
コウさんは人事の仕事が苦手だった。
コウさんは同僚に悩み始めた。
コウさんが辞めると噂に聞いた
コウさんを引き止められなかったと聞いた。
コウさんからメールが届いた。
コウさんに淋しいねと話した。
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2017年10月31日

伊佐会

台風22号の余波で雨の降る日、お茶の水の東京ガーデンパレスまで出かけた。毎年この時期に同じホテルで、故郷の伊佐市出身で関東地区に住む人々が集まる伊佐会が開催される。伊佐市は人口僅か26,700人の小さな市でこの光が丘に住む人口より少ないところです。

いまでも国内最貧県として最下位を争っているだけに若者の殆どが故郷を出て働いています。その内の関東地域に住み着いた人々の集まりとして毎年開催されている。遠く離れた故郷の市役所からも関係者が故郷の焼酎、サツマイモ、みそ、コメ等の故郷のお土産を持って参加し故郷の今を伝えて心の奥底にある参加者の故郷への想いに応えています。会場では勿論故郷の方言以外使わないことになって思い出を語り合う。
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今年も同じ郷土出身の落語家が出演しハンヤ節の踊りが始まるころになると、出席者全員が立ち上がり両手を頭上に挙げてリズムに乗せて踊り始める光景には眼がしらを熱くさせてくれる。今年も卒業以来半世紀振りの懐かしい出会いがあった。伊佐市議会の副議長になっていた高校の同窓生が故郷からわざわざ出席してくれていたり、高齢で出席できなかった幼馴染の兄弟が出席し現在の様子を知らせてくれたりと楽しい一日だった。
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2017年10月11日

山行八ヶ岳

朝夕の涼しさが増しブログ仲間が素晴らしい紅葉写真をアップしている。ついつい山行が恋しくなり現役時代の最後に上った時のメモをいつの間にか読み返していた。

朝4時に目が覚める、6時の朝食まで今日の服装の準備等でのんびり時を過ごす。ご来光が見えるというので外に出たが、寒くて出てくるまで待ちきれず一旦小屋の中に戻りストーブにあたる。誰かが体内酸素濃度を測る機械を持ち込んでいたので調べてもらうと、一度目は80で2度目が正常範囲の88になってホッとする。機械の精度を疑いたくなるけれど自社製品ということで文句言えず。

硫黄岳小屋を7時に出発して横岳に登る。途中アルプスのそうそうたる頂が見えて感動する。山はやはり自分にあっているようだ。横岳は岩肌の露出した険しい道ではあったがチェーンがついており特別に危険を感ずるほどもなかった。頂から見る絶壁がなんとも言えないほど山に来た感覚を呼び戻してくれた。

横岳から三叉峰を通り尾根沿いに登山口までの5時間程度をひたすら景色の見えない山道を降りることになったが、湿った登山道でもあり足をとられることもあった。これも一つは足首が弱っているせいでもあるのだが認めたくない性分で困ったものだ。グループ58人の中でも年寄りグループの我々が最後尾になってしまったのは致し方ないことだろう。

以外なことは温泉に行くことになったことだ。これまで山に登った後に温泉に浸かるというようなことがなかっただけに実に素晴らしい経験をさせていただいた。最高に気分の良い贅沢な時間である。現役最後の一般山行を無事に終えて思ったことは事前の準備を怠らないように。特に次回は靴のしっかりしたものと寒さ対策、ドリンク剤、服装、カメラ、食べ物だろうか。
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