2017年03月31日

あれから50年

故郷に杉の大木が生えている南方神社というのがある。小さいころは毎年お祭りがあり近隣の村から子供たちが集まり村対抗の運動会が開催された。親も一緒になって応援合戦が盛んであった。人の集まりも多く実に楽しみの多い祭りでもあった。特に出店が多く綿飴やキャンディ、駄菓子類を売る店がいくつかあり、親に貰った小遣いで買物するのも楽しみの一つだった。食事はゴザを敷き詰めて家族がそれぞれ集まって食べて楽しんだ。

中学生のころだろうかその出店の一つで勝手に呼び込みを始めてしまったことがある。今思うに引っ込み屋の自分がどうしてこのようなことが出来たのか不思議なことだ。それも戸板に並べたキャラメル類を売っている見知らぬ人の手伝いをかってに始めているのだ。どんどんエスカレートしてしまいには自分で値段を言っては売り子として働いていた。勿論頼まれたわけではないので無償の手伝である。

あれから50年以上も経つけれどそのことは今でも脳裏にはっきりと残っている。働き始めてからお酒を持って南方神社に行ったことも二度ほどあるのを思い出す。自分の仕事の原点がそこに有ったのだと思うと嬉しくてお参りしないわけには行かない。戸板を置いて手伝った場所は神社の広場に入る前の小さな道路脇であった。いまここに改めてそのような思い出があること幸せに思う。さびれゆく故郷よもう一度賑やかになってほしい。
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2017年03月25日

後輩

米国に移り住んだ後輩がいる。後輩といっても同じ出身県で同じ会社に勤務した事のあるというだけの関係ではあるが、その行動力には脱帽するだけである。入社後2-3年経った後だろうか、盲腸の手術をすると聞いた。それも何も悪くないのだが、これから米国にゆくので発病したら困るからという理由だけである。本人の後ばなしによれば、当時は飛行機が高額であったため船で一ヶ月ほどかけて米国に渡ったとのこと。

現地の日本人技術者を伝にアルバイトを続けながら、起業したばかりの会社に勤め始めたところ、本人の技術が生かせることになり、ハンデイタイプのプリンターを有名なフェデラルが採用し飛ぶように売れ年商60Mドルにも成長したとのこと。オーナーが売却したのでその金の一部が自分にも入り住宅を買い、仕事しなくても生涯生活できるだけの金を得たとのこと。アメリカンドリームを実現した男である。

ひょんなことから連絡先を知ることになり電話で話す仲になったが、これまで30年以上ご無沙汰していて自分には日本で勤務中の若い頃のイメージしか残っていなかった。驚いたのは自分が全く考えもしなかった米国に移り住むという意志であった。気持ちはお互い通じるものがある。今は家族四人のんびりした生活を続けているようで嬉しい限りである。

人生どのような展開が待ち受けているのか計り知れないが、これまでも多くの後輩が通り過ぎて行ったけれど、これといった人生を送れている人は少ない。彼が今最も輝いている人物かもしれない。そう思うと何時までもアメリカンドリームを示し続けて欲しいと願わずにはいられない。そしてこのままのんびりした生活を送りとおして欲しいものだ。
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2017年03月20日

観戦考

滅多にサッカーを見ることのない自分なのだが、故郷の代表が決勝に残ったということで応援を兼ねてみることにした。又、ずば抜けた高校男児がいるということも事前のニュースで話題になっていることもあり楽しみにしていた。残念ながら試合は逆転で負けてしまったが、久しぶりに胸の高鳴りを味わうことになった。

自分の人生が重なるわけでもないが、気分的にはそんな気持ちで見ていたようだ。実に歯がゆいことだが現実の世界も同様な状況がつづいている。今ここで逃げ出すわけには行かないが、今年は今日のサッカーみたいな展開があることだろう。一つとれば相手は二つと常に先を進む相手に焦りにも似る気持ちで向かっている。こんな時確実に勝てる人間がいたとすると本物だろう。

これまでサッカーなどやったことのない自分が勝敗に夢中になっている。それは何を意味するのだろうか。今抱えている問題が思うように進まないだけに心配な気持ちの裏返しだろうか。その様な状況の中で自分の未来を占うような気持ちで見ていたと言える。果たして自分の思いは何処にあるのだろうか。

サッカーの試合を見ながら何となく祈るような応援を続けている自分を知る。不思議なものである。人の気持ちは自然と表にでてくるものである。今年から来年、来年から再来年といつまで自分の気持ちを偽らずに続けて行けるだろうか。昔の人に何となく感じたような苛立ちを今の若い人に与えていないだろうか。サッカー観戦後に独りになってこのメモを作成している時に感じていた。
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2017年03月18日

交渉事

我が人生の中でどれくらい交渉の席についただろうか。現役時代の仕事柄今でも夢に出てくることがある。それらの一つ一つが、今は走馬灯のように思い出となって記憶の中でぐるぐる回っている。果たして自分が出した結論が時を隔てた今になってどのような結果を生み出しているだろうか。成果となって現れているのだろうか、又、誰がその評価をするのだろうか。一人になって振り返って見て満足行くものであってほしい。

当時は交渉ごとはすべて相手があって成り立つものであるだけに、相手に対しても公平な対応を考えて上げることが重要だと考えていた。ビジネスの世界にはWin/Winという言葉かあるけれど、お互いがなんらかの利益を得られると思える対応が大切ではないかと思う。そのことが、交渉においては最も大切で気にかけなければならないことだろう。それがこれまでの交渉事で少しでも実現していることを願っている。
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2017年03月07日

給料日の思い出

社会に出て会社から給料をもらうことになったが、その仕組みさえ満足に理解していなかったような気がする。それほど自分は無知な世界に生きていたような気もするが、今ではそれも人生の通り道であったような気がする。人は働き金を得てその金で何かを得るというサイクルを繰り返しているのだろうとその仕組みを漠然に思っているだけだった。

当時月末の25日と言うのが給料日だったことを思い出す。月末になるとお金がなくなり淋しいものであった、しかし、25日は特別な日で現金で貰っていたのが嬉しくてたまらなかった。初任給1万7千5百円という時代に手取りが半分程度ではなかっただろうか。税金その他の天引きの後、下宿代の3千5百円それに会社での三食分の食事代が消えて受け取る金額が数千円だったように思う。確かに今ではどうにもならない金額ではあるが、当時はそれで独り身の生活を支えていたことを思えば贅沢なものであった。

その後、給料は銀行振り込みとなって自分の手に残らないこともあり、給料日がその後特別にならなくなってしまったが、その響きだけは嬉しいものである。退職した現在、給料日はなく何日だったのかも分からない。最近では格差社会とも言われているようだが、それも仕組みの中に隠された理由があるのだろう。
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