2017年03月25日

後輩

米国に移り住んだ後輩がいる。後輩といっても同じ出身県で同じ会社に勤務した事のあるというだけの関係ではあるが、その行動力には脱帽するだけである。入社後2-3年経った後だろうか、盲腸の手術をすると聞いた。それも何も悪くないのだが、これから米国にゆくので発病したら困るからという理由だけである。本人の後ばなしによれば、当時は飛行機が高額であったため船で一ヶ月ほどかけて米国に渡ったとのこと。

現地の日本人技術者を伝にアルバイトを続けながら、起業したばかりの会社に勤め始めたところ、本人の技術が生かせることになり、ハンデイタイプのプリンターを有名なフェデラルが採用し飛ぶように売れ年商60Mドルにも成長したとのこと。オーナーが売却したのでその金の一部が自分にも入り住宅を買い、仕事しなくても生涯生活できるだけの金を得たとのこと。アメリカンドリームを実現した男である。

ひょんなことから連絡先を知ることになり電話で話す仲になったが、これまで30年以上ご無沙汰していて自分には日本で勤務中の若い頃のイメージしか残っていなかった。驚いたのは自分が全く考えもしなかった米国に移り住むという意志であった。気持ちはお互い通じるものがある。今は家族四人のんびりした生活を続けているようで嬉しい限りである。

人生どのような展開が待ち受けているのか計り知れないが、これまでも多くの後輩が通り過ぎて行ったけれど、これといった人生を送れている人は少ない。彼が今最も輝いている人物かもしれない。そう思うと何時までもアメリカンドリームを示し続けて欲しいと願わずにはいられない。そしてこのままのんびりした生活を送りとおして欲しいものだ。
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2017年03月20日

観戦考

滅多にサッカーを見ることのない自分なのだが、故郷の代表が決勝に残ったということで応援を兼ねてみることにした。又、ずば抜けた高校男児がいるということも事前のニュースで話題になっていることもあり楽しみにしていた。残念ながら試合は逆転で負けてしまったが、久しぶりに胸の高鳴りを味わうことになった。

自分の人生が重なるわけでもないが、気分的にはそんな気持ちで見ていたようだ。実に歯がゆいことだが現実の世界も同様な状況がつづいている。今ここで逃げ出すわけには行かないが、今年は今日のサッカーみたいな展開があることだろう。一つとれば相手は二つと常に先を進む相手に焦りにも似る気持ちで向かっている。こんな時確実に勝てる人間がいたとすると本物だろう。

これまでサッカーなどやったことのない自分が勝敗に夢中になっている。それは何を意味するのだろうか。今抱えている問題が思うように進まないだけに心配な気持ちの裏返しだろうか。その様な状況の中で自分の未来を占うような気持ちで見ていたと言える。果たして自分の思いは何処にあるのだろうか。

サッカーの試合を見ながら何となく祈るような応援を続けている自分を知る。不思議なものである。人の気持ちは自然と表にでてくるものである。今年から来年、来年から再来年といつまで自分の気持ちを偽らずに続けて行けるだろうか。昔の人に何となく感じたような苛立ちを今の若い人に与えていないだろうか。サッカー観戦後に独りになってこのメモを作成している時に感じていた。
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2017年03月18日

交渉事

我が人生の中でどれくらい交渉の席についただろうか。現役時代の仕事柄今でも夢に出てくることがある。それらの一つ一つが、今は走馬灯のように思い出となって記憶の中でぐるぐる回っている。果たして自分が出した結論が時を隔てた今になってどのような結果を生み出しているだろうか。成果となって現れているのだろうか、又、誰がその評価をするのだろうか。一人になって振り返って見て満足行くものであってほしい。

当時は交渉ごとはすべて相手があって成り立つものであるだけに、相手に対しても公平な対応を考えて上げることが重要だと考えていた。ビジネスの世界にはWin/Winという言葉かあるけれど、お互いがなんらかの利益を得られると思える対応が大切ではないかと思う。そのことが、交渉においては最も大切で気にかけなければならないことだろう。それがこれまでの交渉事で少しでも実現していることを願っている。
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2017年03月07日

給料日の思い出

社会に出て会社から給料をもらうことになったが、その仕組みさえ満足に理解していなかったような気がする。それほど自分は無知な世界に生きていたような気もするが、今ではそれも人生の通り道であったような気がする。人は働き金を得てその金で何かを得るというサイクルを繰り返しているのだろうとその仕組みを漠然に思っているだけだった。

当時月末の25日と言うのが給料日だったことを思い出す。月末になるとお金がなくなり淋しいものであった、しかし、25日は特別な日で現金で貰っていたのが嬉しくてたまらなかった。初任給1万7千5百円という時代に手取りが半分程度ではなかっただろうか。税金その他の天引きの後、下宿代の3千5百円それに会社での三食分の食事代が消えて受け取る金額が数千円だったように思う。確かに今ではどうにもならない金額ではあるが、当時はそれで独り身の生活を支えていたことを思えば贅沢なものであった。

その後、給料は銀行振り込みとなって自分の手に残らないこともあり、給料日がその後特別にならなくなってしまったが、その響きだけは嬉しいものである。退職した現在、給料日はなく何日だったのかも分からない。最近では格差社会とも言われているようだが、それも仕組みの中に隠された理由があるのだろう。
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2017年03月05日

有難う足温器

足温器と言えば故郷の牛小屋の二階に住んでいた頃を思い出す。ベニアで仕切りをつけただけの部屋を勉強部屋と呼び、手製の孟宗竹のベッドと長年使い古した食卓に足をつけた机とそれにこれも自作のイスを持ち込み畳二畳の勉強部屋が出来上がった。其処にはソケット一つの裸電球と古い真空管式のラジオのある個室の出来上がりだった。当時それは自分にとって最高の部屋であり多くのことを残してくれている思い出の部屋である。

高校時代の多感な時に過ごした部屋には、今は不思議にも思える海外の有名な場所を写した写真が貼ってある。そのどれもが将来自分が訪問することになる場所とは当時思いもしなかったのに今それが実現してみて初めてその不思議さを思う。憧れにも似た思いを伝えきれずに過ごした当時の思いもそのまま残っており懐かしく思えてならなかった。

足温器はそんな部屋での唯一の暖房であった。練炭一個を詰めたものを机の下に置き座っている間中足を温めていたのを思い出す。それはなんともいえないほどの贅沢感であった。お陰で勉強もはかどり高校時代の成績はそれほど悪いものではなかった。その足温器も一度火鉢に換わったこともあるがあまりの熱さで畳が焼けてしまったこともあった。それよりも今考えるに当時の無知が命を落としかねない状況であったことが怖い。一酸化炭素中毒という最も危険な状況にあったことなのだが。

その後、独身時代に贈ってもらった足温器は有難かった。自分の部屋に、中野の6畳アパートでは最高の贈り物となり長年愛用させていただいた。いろいろな場所で足温器は自分の生活を支えてくれた。今は最新の技術を備えたパネルヒータが自分の部屋に足温器として働いている。それが自分の生活はいかに足温器を必要とし、足温器なしでは成り立たないかを物語っているようである。ありがとう足温器。
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