2017年01月27日

今の命を

社会に出たての頃のメモが見つかったこともあり、当時どんなことを考えていたのか思い出だそうとしているがそれも定かではない。当時は詩人の萩原朔太郎の詩をよく読んでいたので意味もわからず気負ってこんなのを書いたのだろうか。

吠えろ 吠えろ 今の命を 
時空を超えた魂の中で
吠えろ 吠えろ 戦いに向かって
吠えろ 吠えろ

我の道を 誰が導くすべもなし
生きる道は造られる故に
楽を尊ぶことも道なれば
苦忍の道を得んと望む者
未来を確約せざるがため
悲を悲とも思わずして
ただひたすら我を信ずるのみ
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2017年01月26日

それぞれに

学校を卒業して社会に一歩踏み出したころ、当時世界で最も経済力のあるアメリカで、成功物語として書かれた本が話題になっていた。日本の書店でもそれらの翻訳本が多く出回っていた。色々な夢を持ち希望を膨らましていた当時の若者の間で、絶大な人気のあった人の言葉と言われている。その頃から何十年も経た今、当時夢中になった若者は今それぞれの結果をどのように受け取っているだろうか。

<<人の生き方には二種類しかない。一つは奇跡など起こらないだろうと思う生き方。もう一つは、奇跡は必ず訪れると思う生き方。 ディール・カーネギー>>
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2017年01月13日

年齢と理解

愛読書ともう一度読みたい本のいくつかを残して昨年殆どの蔵書を処分したはずなのに、特に気にも止めなかった高校生時代の古い本が出て来た。当時一度読んではみたが、最初の出だしからその意味する内容がほとんど理解できなかった方丈記。ところがそれ以後半世紀ほど全く目に触れることのなかった下記文章だが、今読むと何の違和感なしに自分の意識の中に入り込んでくる。必要だったのは半世紀に及ぶ時間だったのだろうか。

<<行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶ泡は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、世の中にある人と住家と、またかくの如し。方丈記・鴨長明>>
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2017年01月04日

弁当効果

東京に来て始めて食べた弁当は何処で食べたのだろうか。恐らく山歩きをしているころに買った駅弁ではないだろうか。或いは大阪や京都に移動する時に買ったかもしれない。当初はそれほど意識にあるものではなかったが、最近になりコンビニで弁当を販売するようになりブームが訪れたこともあり生活の中にも弁当というものが定着してきた。

急いでいる仕事などがあると昼飯を食べ損ねたりする時があるけれど、そんな時は箱に入った昔から言われているような弁当ではなく、最近のブームの火付け役となった御握りが中心になることがある。贅沢になればお茶とドラ焼きをデザートとして購入しひとり静かに食べる時があった。そんな時どういう訳か満足していたのは確かだ。

現役時代の昼飯には社内弁当を利用することが多かった。何と言っても待たずに食べられるという特権があることだ。昼飯の時間帯によってはとても混雑する食堂では何重にも人が並ぶことになり時間がかかってしまうことがある。そんな時弁当は便利である。既に準備された弁当が積み重ねてあり食券だけで食事にありつけるようになっていた。

冬の時期温かいものではないけれど、そこは味噌汁の温かいものが無料で手に入ることもあり十分に満足できるものであった。特におかずはメニューが多く、因みに或る日のメニューでは鯖の切り身、キノコ、ニンジン、アゲ豆腐、佃煮、カボチャ、コロッケ、その他実に多彩なメニューを楽しむことが出来た。これら思い出は弁当効果だろう。
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2016年12月27日

年末の贈物

年の瀬になると我が家にも贈物が届く。それ以外にも珍しい人から届くこともある。何十年も前に一緒に仕事をした人から品が届いたりした。既に退職されてから十年以上経っているというのに気に掛けていてくれることも嬉しいが、贈物まで届けてくれる気持ちはさらに有難いものである。人間の生き方というものはその人の心しだいなのだろう。

仕事での付き合いがなくなれば一切の連絡を絶つ人もいれば、何の見返りなく連絡をしてくる人もいる。単に心を繋ぐためにだけで何の損得も考えない人。私はそんな人との交流は大切にしてゆきたいと思っている。その人が救われるだけでなく自分自身も心の安堵をえられ、新たに頑張ろうという気持ちが湧いてくるから。

人は誰でも贈物を貰うと嬉しいものと思っていたが、最近は少々その見方が変わってきたと思っている。同じ贈物でもその人の心が伝わらないものについては、心からの嬉しさというものが伝わってこない。これは明らかだといえる。これまでいただいたものの中で何時までも心に残るものといえるものは、その人の人間性が伝わってくるものである。

自分もいろいろなところで贈物をする場合があるけれど、それが心のこもったものであるかどうかは分からない。恐らく渡した相手にはそれがよく見えていることだろうと思う。悲しいかな自分の人間性の問題だけにまだまだ未熟としか言えない。時として心の絆が生まれることがあるけれど、こんなときは最高に幸せのときである。
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