2018年06月19日

自助について

自助論という英国人が書いた本があることを知った。明治の近代化政策にあわせて英国に留学した人達が入手して持ち帰ったといわれる本である。最近その本の現代版が最近の風潮を反映してプラス思考の原点として持てはやされている。自分自身も何かのついでで見つけたものだが、英文と日本語訳の二種類を手に入れている。

考え方が自然に自分の頭の中に入り込むこともあるせいか、自分としては読みやすくその価値を見出している。サミエルというこの作者は150年も前にこの本を書いたというが、当時からこのような人物がいるという人間の歴史は素晴らしい。そして又当時の考え方が現在の相当に進んだ文明の中でも脈々と息づいていることも驚異であるといえる。

人生も高齢になってやっとそのことが分かりだした自分は何であろうか、しっかりした生き方をしない限りこれからの生活も厳しいものになるような気がする。折角入手したこの本の価値を十分に認識して、その考え方をこれからの生き方の中に取り込んで行くことが必要だろう。それだけの価値のある本である。

自助論の根底に流れているのが、自分自身は自分でしか成長させることが出来ないということではないだろうか。人の手助けを当てにしていては何も出来ない、自分自身をしっかり見つめて成果の得られる習慣作りを大切にすること。そこから生まれてくるものが、自分自身を強くして飛躍することが出来るということではないだろうか。
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2018年06月18日

浪費について

人類の世界で初めて言える言葉かもしれないが、浪費という言葉がある。しかし、一般的に言われることはお金のことであろう。使った出費が何の成果も得ないか、得ても出費に匹敵するだけの成果を得られない場合を浪費という。しかしそれ以外にも現実的にはもっと重要な浪費があることを知るべきである。特に時間というものの浪費は取り戻せないだけに認識を高める必要がある。

一日一日は24時間という時間の繰り返しであり、それ以上でもそれ以下でもない時間である。如何なる生き物にも時間は平等に与えられている。しかし、その時間を認識できるのも人間だけかも知れない。その人間の中でも時間をどのように使い分けているかという観点からは様々の使い方をしており、一概には言えないが浪費という言葉が生まれる素地がある。

人間の寿命は動物の中では長いうちに入るだろう、生物の中では何百年も生きるものもあるが時間を知る生き物は人間だけだろうと思う。だからこそその時間が作り出すものの代償を見て人は比較するのではないだろうか。費やした時間とその成果を比べて効率が良いかどうかを判断し、無駄にしたかあるいは非効率的な時間を浪費と呼ぶのだろう。

自分の人生で既に六十年以上が過ぎたけれど、その使い方に浪費した時間がなかったとはけして言えない。六十年以上という時間は非常に長いものであり、その時間を有効に使っていたら今の自分以上のものであったのではないだろうか。これまでの人生を否定する気持ちはさらさらないけれど浪費という観点からすれば相当なものだったろうと思う。
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2018年05月31日

エゴや自惚れ

人間というものは面白い動物である。世界中いたるところに生息している。日々生きることとの戦いの中でこれほど有能な生き物はいない。果たしてこの人間がこれから先も生き続けるのだろうか。このところ急激に人口が増えてきていることは少々怖い気もするけれど真実はもっと深刻になりつつある。

日々の生活の中で新しい生き方を見つめなおしてゆかなければならない時に、自分の考えだけで生き方を発展させてゆけるだろうか。人間はしばしば喧嘩もするし、言い争いをしているところを考えると何か間違っているような印象さえもつことになる。それぞれが持つ感情は同じ文化で育っているだけになかなか思うように解決できない。

人間を始めてから60年以上の歳月が流れたけれど、果たしてその期間正確な情報を得て対処していただろうか。得てしてエゴや自惚れが先行してうまく行かないことが多かったような気がする。それも人間に生まれつきのことだったのだろうか。そんなことを思いながら日々の生活は続けられて今日まで来たのだろう。

果たして自分が生きた道が正しかったと誰が言えるのだろうか。多くの間違いをし失敗を重ねてきた自分にとっては何としてもなさねばならない夢というものがあるだろうか。これまでも多くの人に助けられてここまで来たけれど人間として感謝の念を持っていただろうか。情けないほどの弱さをもっていたような気がしてならない。
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2018年05月07日

初月給

長男が初月給を貰ったのは8年ほど前の事。手取り20万円程度だったとのことで、やっと自立を開始できるようになった。自分の初月給に比べ一桁以上も違う大きな数字であったが、当時とは物価状況が違うので一概に言えないかも知れない。それでも初月給から家族へとラジカセを買ってくれた。長男にそのような気持ちがあったことがうれしかった。

家族を大切にする気持ちが育っていることは願ってもないことである。これからも彼の人生で最も大切なことだと思う。給与収入というものは日々の生活を支えてゆくにはどうしても必要なものであり、楽しむためにも大切なものである。有効に使い自らの成長を高めてもらいたい。そしてこれからの人生を十分に楽しんでもらいたいものである。

自分の若いころ仕事と趣味の二つを両立できない自分に苦しみ、最後は仕事を選択し語学を学んできた。それが結果的にこれまでのキャリアとなってきた。当時関心が高かったことは最近になって始めたが、楽しむという面では十分に用を足している。大切なことは生活を支えるものを最初に身につけることが先決であるとして取り組むことだろう。

同時に収入をどのように使うかということも大切なことである。若いころは元気で夢も広がり多くのことに手を染めたくなるが、それも健康であってこそのことだ。歳を重ねて分ってくることだが、自分の健康が家族の生活に大きく影響を及ぼすことになる。しっかりと生活の基盤を築くためにも健康の大切さに気付いてほしい。それが給料として手に取る中身も変えてくれるものだから。
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2018年04月27日

示唆(現役時代のメモ)

今日示唆という言葉を知った。何か事が起きるのを事前にそれとなく気づかせること、あるいは暗にそそのかすことという意味であるらしい。意味内容は十分に理解できる年齢ではあるが言葉としてあったのを知らなかった。還暦を超えた自分がこのことを知らなかったことは実に恥ずべきこととして受け取らなければなるまい。

人がことを起こす前には何か事前に発するものがある。それがさりげない行動であったり話しぶりであったりと実に人間は高度な機能を有する動物である。それをキャッチできるかどうかもそれぞれレベルは違っても必ずもっているものである。そのことを説明するためにこの言葉が生まれているのだろう。示唆といえばそれらを全て包括してしまう。

毎月発行しているニュースレターも一つに自分の考え方を皆に理解してもらうことを目的に書いているものだが、直接的な意味を持って書かれてはいない。これも一つに伝えたい内容を示唆したものであり、同じように理解してもらいたいという気持ちをこめたものである。それを又理解して読んでくれている人がどれほどいるだろうか。

何かと便利な言葉である示唆は今後大いに利用させてもらうことに成りそうだ。特に部門全員に伝わるようには書きにくいところを伝えたいことを示唆することを、心がけて書くことを考えられる。毎回続けているニュースレターをいつまで続けられるだろうか。これまで続けられたことに感謝したい。
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