2017年10月19日

リーダーと気分

気分にまかせた生き方は実に不安定なものとなる。何かちょっとしたことで人の表情は明るくなったり暗くなったりと、その日一日でも大きく変化する。気分が変わるということはその人にしっかり根付いた考えが宿していないことではないか。何を言われても動じないような考えがあれば、ちょっとした言葉によって考えが変わることもないだろう。

天気によって左右される気分というのがある、快晴の日は特別に気分も晴れるが、雨がシトシト続く日は何となく気分が滅入る。天気によって気分が変わり行動が変わり成果が違う場合は問題である。人間としてしっかりした考えがあれば天気に左右されずに成果が残せるようになるはずである。そうならないというところに人間の弱さがあるのだろう。

しかし、日々の生活の中で思うことは、人間はこのような気分に振り回されることがなんと多いのだろう。その極端な例が自暴自棄を生み出しているのではないか。人々が生きる社会で許されてはならないのがこの気分による行動ではないだろうか。気分によって左右されるようであればリーダーとしては失格であるだろうし成長も望めない。

生き方を問われたときにどのように答えたら良いだろうか。気分屋で気まぐれで天候によってもその日の気分が変わるから気をつけたほうがよいだろうとは決して言ってはなるまい。リーダーが気分で動くようであれば人々はついて行けないだろう。そこにはハッキリとした目標を示して誰もが考えを理解できる形にしておくことが大切である。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

欲望とプレゼン手法

会社勤務を続けている人間にとって欲望とはなんだろうか。年収か、役職か、権限か、仕事内容か、企業規模等多くのことが数え上げられると思う。欲望は人それぞれであり明確に言い当てることは出来ないが、マズローの5段階というような分析もされており欲望の段階によってもその強さを含めて変わってくることも明らかである。

自分の場合は果たしてどうだっただろうか、興味のある問いかけである。これまではその時々にあわせて関心も大きく揺れ動いていた。それで50年近い歳月があっというまに過ぎ去ったのだから自慢できるものではない。しかし、その中で特別に興味が湧いたのは通ったUCIで習得したプレゼン手法がその後の思考回路形成に役立った気がする。

人はそれぞれ何かを表現しながら社会で交流し仕事を重ねて生きていると思う。プレゼン手法はその表現方法をより分かりやすくしてくれるツールであると思われる。その証拠に生まれつき引っ込み思案で頭の回転も良いとは言えなかった自分が、本質は変わらないのに人前で話しをするということにも対応できるようになった。

確かに欲望は多くの点で醜さをさらけ出す場合もあるけれど、一方では人の生き方さえも変えるだけの力がある。欲望のお陰で行動が生まれて新たなステージに進むことも出来るようになる。そのことを無視しては進歩が得られないし満足も得られない。そう考えると欲望も大切な動議付けの一つであると言えそうだ。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

携帯電話考

携帯電話の出現は驚きである、特に最近の電話はそれだけで何でも出来てしまうようである。買い物の決済から手帳やウオークマン、デジカメや通訳それにインターネット。もう電話といえないような代物である。その機能が今持っている携帯に全て付随している。全ての機能が使いこなせるわけでもないのにと思うが付いているのである。

国内海外を問わず誰にもどこにも即座に電話連絡できるし、どんなに遠くても問題なくつながるのがこの携帯電話機能であるようだ。人は誰でも便利さを求めるものではあるが、その人の知的レベルまでは対応しても、それ以上は何の役にも立たない機能でもある。はたしてその携帯電話を持つ自分はどうだろうか。

10年20年という単位で見ればその変化も大きいが数年の単位では少しの変化しか見られない。それは技術の進歩の特徴でもあるかもしれない。10年単位の変化は大きな新技術で生まれ、数年単位の変化はその応用でしか生まれてこない。そこでどう社会に受け入れられて事業として成り立つかは経営者の経営力につながるのかもしれない。

携帯電話で見る限り今はその技術の応用力が大きく物言う時期であるかも知れないが、自分が抱えている問題はどうだろうか。特別の新技術はなく繰り返し使われる技術で十分に対応できている。使っているのは専ら音声通話だけで、それ以上はなかなか使いこなせていない。それでも持ち歩いているのである、自分の愚かさを証明するが如く。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

夢と希望と活力

最近ふと浮かんできたことだが、若い頃の自分の夢は何だったろうかということである。自分の夢を語れる人はどんなにか素晴らしい人だろう。それに向かって日々努力している人の美しさは、何にも代えがたいものではないだろうか。夢の大小や現実か非現実かそれも見えない中で夢を語る人もあるだろうが、いずれにしても素晴らしいにつきる。

自分の過去の夢はどんなものであったろうか。現在の夢は人に語れるものであるだろうか。当時発売され始めたテレビを扱う技術者を目指し、一年もするとさらに大学に通う夢をもち、英語の難しさを経験すると語学力をつけたいと、そして美しい音色を聴くと弦楽器にと、次々と夢は変わってきたがいずれも中途半端ではなかっただろうか。

現在取り組んでいるクラシックギターも口に出しては言えないけれど、歳を重ねて人生の残り時間も短くなり、記憶緑を含め何もかもが衰えを感じる中では、ますます厳しいものになって行くだろう。それでも自分の夢を持てることは幸せなことだと感じられずにはいられない。夢の結末については知る由もないが、運命に導かれることになるだろう。

いずれにせよ夢を語れることは希望を持ち続けているわけで、素晴らしい人生を歩いていることであると思う。この世で自分の未来を見つめられる人であり、遠くの星の光をガイドに暗闇の中を切り開ける活力のある人だと思う。自分もそのような気持ちで生きてゆけるだけの夢と希望と活力をこれから先にも持ち続けたいと願っている。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

眼鏡の効用

以前見たガイアの夜明けという番組で脳に優しい眼鏡の開発をした東海光学のことを知り、めがねを作り変えたことを思いだした。検眼し過去のデータと比べたところ、めがねを変える必要性を感じたので、当時そのような訳でいつものメーカではなく東海光学のレンズを使用して作ってもらうことにした。果たして本当に目の疲れがなくなったのだろうか。

仕事上でパソコンを使う事が多かったし、現在も利用しているので目の酷使が続いている。仕事内容も基本的な知識レベルが低すぎたことで、夜学や読書による習得を目指したこともあり目を酷使する機会が多かった。それが原因とは言えないまでもそれまでの眼鏡の交換頻度は以外と多く既に二桁台の眼鏡の数になっていた。それほど視力の変化が大きかったといえる。

その時新調した眼鏡を今もかけているが、このところ目に疲れが残ることが多いので眼科で相談した。検査室で視力・視野・眼圧等色々検査した後に視力を含め至って正常で特別なことも必要ないという。ふと例の脳に優しい眼鏡のお蔭だろうかと考えていると。最近良く聞くようになった、又もや“年齢的”に目の筋力が弱ってきているせいですとの説明。

世の中に眼鏡がなかったら自分の人生はどうなっていただろうか。情報や知識の約85%は目から取り込まれるといわれているので、これまでとは全く違った人生になっていただろう。自分で言うのもおこがましいが、眼鏡のお陰でいろいろな経験もあり、知識を得る機会も多かったと思う。概して眼鏡には感謝こそすれ恨みはいっさいなし。
posted by Tommy at 04:00| Comment(2) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする