2018年02月16日

桃園の誓い

三国志を読む機会があって十数年前に読んだことがある。その始めの頃の話の中に桃園の誓いという話が出てくる。劉備元徳を含めた3名がそれぞれの誓いを桃の花が咲く園で行ったという単純な話だが三名が出会ってどのような約束事をしたかという内容である。後に続く壮大な物語の前触れとして記憶に残るような導入の仕方である。

そこで語られた誓いが三国志の流れの中でしっかりと守られていることを印象付けるようになっている。それぞれが受け持つ役割も明確に記述してあり実にわかりやすい話である。
三国志の舞台になった成都には既に4回ほど出掛けただろうか。そのうち2回ほど劉備元徳を祭ってある寺に行ったことがある。いずれの場合も今は観光地になっており当時の面影が残っているとは言えないが、数千年も前の人物伝であるだけに興味がそそる。

他人との約束と言うものを人はどのように扱ってきているのだろうか。全く意に介さない人もあるだろうし、忠実に守ってゆく人もあるだろう。しかし、あまりに忠実に守る人は融通が利かず、あまり忠実でない人も世の中は多く感じられる。現代においていずれの対応がよいのかわからない。当時と違って価値観が急激に変化している現代、昨日と今日では全く逆の価値観に出会うかも知れないだけに複雑な気分でもある。

果たして自分はこれまでどんな対応をしてきただろうか。人との約束をしっかりと守ってきたと言えるだろうか。多くのことで不利な約束は忘れていることが多いのではないだろうか、あまり価値を認めないような内容においてはそんな気がする。これまで自分から去って行った人の多くはそのような関係の人ではなかっただろうか。思い出を語るときに、そのような人が浮かび上がってきたときは淋しくなるような気もする。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

人間の能力

人間の能力というものはなんだろうか。小さいころから今の自分までの長い人生の中で能力が優れているというような言葉は一度も貰ったことがない。恐らく自分には関係のない言葉であろう。何処の誰だったかは知らないが、少々反発にも似たような気分で聞いていたことだったが、あの人は能力があるという言い方も聞いたことがある。

能力があるといった場合いろいろなことをカバーするようで、単に何かをすることだけにも使うし、社会の中で地位を得ている人にも使う、余興の席で皆を楽しませることが出来る人を捕まえては能力があるともいう。能力とは掴まえところのないもので何か好まれる結果を出す人を指しているようでもある。いずれにせよ漠然としていること間違いなし。

人間なればこそこのような言葉が生まれてくるのだろう。不思議なことは世界には多くの人種がいて、それぞれに異なった言葉を使っているにも関らず意味の共通する言葉あるということである。生活環境が同じである場合は殆ど対応する言葉があるということである。そこは何かしら不思議さの残るところである。人間の先祖が一つである証明かも知れない。

能力があると言われれば嬉しくなり、無いと言われれば悲しくなる人の感情も同じかもしれない。能力というのはそんなところも似ているのだろうか。人それぞれに興味の範囲も対象も異なる中で能力があるという言葉は曖昧すぎるような気がするが、それを発する人も聞くひとも曖昧さが残る。能力という言葉は特に特別に扱うものでもないのだろう。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

前進の時期

久しぶりにこの言葉を思い出した。少し歳を取って疲れやすくなったからと言って前進することをあきらめてはいけないと思う。人はこの世に生かされている限り前進することを念頭に活動してゆく必要があるだろう。最近の自分は夢と現実のギャップの大きさと実力の伴わないところでの話で弱気になっているようである。誰もがこのような経験を経た上で目的とするところに届くことを忘れていたようだ。

日々考える問題が複雑になってきたこともあり何かと考えをまとめることが難しくなっていたこともあり少々後進しかねない状況であった。しかし、これも観念的なものであり何の実体もないものである。単に考えの中で弱気な気持ち、あるいは体の疲れがトリガになって思考が寄り道を始めただけである。自分の歩く道は常に前進を念頭に置き遠くの空の星を頼りの人生行路である。それこそが自分が生かされ今を生きている条件なのだ。

日々繰り返す単調な行動が大切である。全ての偉大な仕事は単調ではあるが、継続することにより一つ一つが積み重なって大きな成果にとつながる。勿論成果につながらない積み重ねでは人生を無駄に過ごすことになるだけである。今やっていることが成果につながっているかどうかは結果でしかわからないかもしれないが、それを信じて一歩一歩と日々の生活の中で歩を進めるより他にないと思っている。

夢を持つこと、希望を持つこと、何かに取り掛かること、小さな成果を喜ぶこと、人生のいかなることも楽しむこと、それを信条として生きてゆきたいと公言し始めたのは何時のことだろうか。そしてそれを目に見える形で実践し始めたのは何時のことだろうか。全てのことが四十歳代から始まったような気がする。それだけ自分にとってはその年齢の頃が前進することを体得させてくれた時期である。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月27日

不足を考える

夢を膨らませるときに自分自身に不足を感じるところがあり、それが何かを今探している。どんなに急いでも上手く行かないことに対して、自分を知る誰かが導いているような気もする。今思うに強い希望であって、それが実現していたとしてもトラブルばかりで未然に防ぐ力量がなかっただろうと自分に納得している。それが今の自分の姿である。

勿論夢は高くてもそれに伴う実力がなければ頓挫することは明らかである。今其の見え隠れする違いを見つけて、自分の番が廻ってきたときのために準備することの方がより大切であると思う。このところ自惚れが強くなっていたような気もする。そのために考えが浅はかで成果の出ない日々が続いていた。そろそろ目を覚ます時に来ていると思う。

夢を語れることは良いことである。それを実現できることはさらに嬉しいものである。自分の場合、遠い昔に思ったことが今日常的に行なわれている。それもこれも誰かの導きがあったればこそと思っている。自分を知る人からはどうしても今までの仕事につけるとは思えなかったと言われているけれど、自分として努力したつもりではある。

世の中はすごい速さで変わって来ている。それにどうやってついて行くかは自分次第である。日々アンテナを働かせて、入ってくる情報を自分なりに分析して整理してゆかなければこの流れにはついてゆけない。其の為には少々おどけた振る舞いでも楽しみながら外の動きに接してゆく必要がある。勿論それには投資が必要なことも理解できる。時間と金を投資して、不足する知識と経験を積み知恵を出し世の中の動きについて行く必要がある。
posted by Tommy at 04:00| Comment(4) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

諦めない

今年は全てにおいて“あきらめない”という言葉を活かして行きたい。これまでどちらかといえば“負けない”という言葉を念頭に置いていたと思うが、ここに来て“あきらめない”という言葉を大切にして行きたい。“負けない”という言葉は攻撃的な言葉ではないが場合によってはストレスの溜まる言葉である。それに比べ“あきらめない”とは実にシンプルな表現方法で自分にはストレスがかからないが、成果を出すために必要な代弁である。

これまで用いて来た“負けない”という言葉は負けを認めない厳しさがある。新たな言葉としての“あきらめない”は、自分自身が求める成果を得るまでは継続して続けるということであり攻撃的な言葉ではない。毎朝の沈思黙考の中ですべてが、今の自分の目標であり実現させたいものである。それを得るまでは決してあきらめないということである。

ここに来て目標が高くなって来たこともありなかなか実現することが難しくなっていることもあるが、新しい年に気分を一新して実現させることにアクセルを踏む必要がある。そのような中でストレスの溜まるようなことは全て取り除き成果として結びつくようにする必要がある。“あきらめない”は一つの気分転換でもあり実現を早める手段である。

これまではどちらかと言えば短時間に獲得したことが多かった。最も時間がかかったものといっても10年程度で、仕事上の知識も意外と短い時間で取得して来たように思える。それだけに底が浅く十分に価値あるものとなっていなかったようである。これからが大仕事が待っている。何としても実現させたいこれらのことをあきらめてはならない。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする