2017年06月19日

米国と欧州の違い?

日本人は米国の影響が強く米国の考え方が自然と社会生活に溶け込んで来たような気がするが、最近面白い考え方だなと思ってついつい読んでしまった文章がある。

一般的に米国人は変革こそが人生だと考えます。人は生来の性質や能力は変えられるものだと考える人が多いようだ。一時ベストセラーとなっていた自己啓発書や成功物語などは自分や他人を変え会社や社会の環境を改善することを奨励するのであふれていた。人間はどうありたいかという事について良く考えさえすれば、そのとおりの人間になるであろうとされている。人間は認識さえすれば、自分を作品のように作れるというわけだ。

それに反して、歴史の古い欧州では人類は同じ過ちを繰り返してきたので、人間はあまり変わらないものだと考えている。人間は自分をどうしようと考える前に、自分がすでに作品として出来上がっているのだ。人間は、こんな人になりたい、あのような人になりたいなどと決心しても無駄であるし、別人になることもできない。彼は以前のままであるし、自分がなんであるかを徐々に認識するだけである。人間はなりたいような人間になることはできない。
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2017年06月12日

未熟を考える

未熟な人間と良く言われる言葉だけど、その内容はどのようなものだろうか。人それぞれに尺度を持っており、それに基づいて意見を述べていると思われる。自分に照らし合わせてみても、どこかにその基準を求めながら判断しているような気がする。そこで表に出てくる間際まで比較検討を重ねると同時に、場合によっては自分の意見がどのように受け取られるかと考えながらも発言もしている。単純に自分の持っている基準だけで比較判断しているようでもある。

何か事をすすめるにあたり思うことは相手の発言や行動、或いは過去の対処の仕方を念頭にしながらそのレベルを推し量り、己の基準とする習熟度と比較する。或いは他の人々の様子を見ながら、それらと比較することもあるだろう。しかしながら、未熟であるとか、成熟しているとか、場合によっては青二才などと言う場合もあるが、人を評価することには間違いないだけに、それは大変傲慢なものであるといわざるを得まい。

歴史のなかで交わりのあった人々の中では、これら評価の繰り返しであったことだろう。それによってもたらされた幸せや不幸せのドラマが小説となり、記録となって残っているのだろう。それは喜劇であったり、悲劇であったり、残酷であったり、心温まることであったりと千差万別の様態をなして、この世界が作られて来ているのだろう。不思議な何かを感じざるを得ない。

時として思うことは、果してその様な状況で絶対的な基準と言えるものがあるのだろうか。人それぞれに違う考えや見かたを持っている中では、同じものを評価するにも違った評価が出てくるのではないのだろうか。その様に考えると未熟と言う言葉の評価も人により成熟にもなりうるだろう。人それぞれに異なる評価が生まれるとすると、評価する人の問題はどうだろうか。その人のレベルが高いかどうかでも変わるとなると、寧ろ評価する人のレベルがどうかと考えるのが、実務的な考えになるかもしれない。
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2017年06月07日

達磨と鏡

たまたま知人と食事を一緒にすることになり、話すときの目の動きが気になった。これまで多くの人々と顔を合わせて話をしてきたが、日本人には相手の顔を見ながら話すということが苦手のようである。勿論自分も同様であると理解している。それを変えるきっかけを得て、今のような習慣にすることが出来るようになったのだろう。

社会に出たての頃、田舎育ちの自分には何となく劣等感から人前で話すことは苦痛でしかなかった。たまに人と話すことがあっても、まともに相手から目を向けられると気分が落ち着かずそれを避けようと早口になったり眼を背けたりしていた。ある時たまたま手にした自己啓発の本を読んで面白いと思って鏡と達磨を置き始めた。

それ以来、自宅に鏡と達磨を置いている。これは自分が相手の目を見ることの恐れを無くするために役立ってきたと思う。人は皆、自分に弱さがあると他人の眼を避けたいという気持ちが自然に起きて来るらしく,無意識に目をそらすようである。それに打ち勝つために毎朝鏡の中に映る達磨と自分の眼を見ながら無意識に話しかけている。

これからの人生の中でも同様な無意識の癖があるだろう。それを克服することも重要なことだが、先ずその癖に気づくことが第一である。気づくことなしには人は自分自身を変えることは出来ない。その意味で自分が納得できることを教えてくれる鏡というメンター同様の存在は重要である。気づいてからは直すも直さないも全て本人しだいである。
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2017年06月05日

意欲から思いやり

成功する人間かどうかはその人の持つ意欲の程度で決まるような気がする。多くの人と接して来たが、その後成功した人とは決まって意欲あった人が多い。それにもう一つ言わせてもらうと性格の良かった人が多い。この場合単に人が良いということではなく、はっきりした自分の信念を持ち曲がったことをしない率直な人のことである。

そのような人々と人生の中でめぐり合うことになれば最高である。自分の場合幸いにもそのようなことが重なってとても嬉しいことである。好きな仕事に就けたのも、それらの人々に助けられたことが多いと思っている。同窓生の中でも目立つことなく成果も殆どなかった自分が好きな仕事を続けられたことが不思議なくらいなのだから。

いろいろな経験は一つ一つが貴重な宝であり、それに巡り会えたということ自体自分は運が良かったといえるのだろう。それなりの成果も少々あったかもしれないが、それさえも何かに導かれていたような気がする。それだけに今後の人生で多くの欲を出すことはしたくない。出来れば世の中を楽しく過ごせるような社会貢献が出来れば有難い。

意欲ということではそのような訳で若いときと老年の今では少々変わってきているようだ。若いときの意欲はどちらかといえば自己中心的欲求が主体となり、他人に対する思いやりは弱かったし、気づかないことが多かった。大人になり老年になると昔受けた恩が、思いやりにかわり表に出てくるようになる。これからの人生がさらに充実するかどうかは御心にもよるが、この思いやりが出来るかどうか重要になってくるのだろう。
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2017年05月30日

和やかな生活

人は皆その未来像に夢を持つとよく言われることだが、大金持ちになるというような内容の本が一時的に話題の中心となってよく売れていた。当時からお金とは無縁で大金持ちになるのが自分の夢ではないと粋がっていた。しかし、そこに書かれた内容がプラス思考になっているという面では面白く思っていた。

定年退職し高齢者としての現在の生活は大金持ちとは依然として縁遠いものだが楽しいものでもある。十分に必要な時間がありその時間も楽しんでいる。人それぞれに価値を見出しているだろうが、自分には今の時間配分に大変満足している。和やかな生活と自分の趣味を生かせる時間があって素晴らしいといわざるを得まい。

夢実現のためにはそれぞれ実行計画が必要であろう。単に夢を見ることだけでは何も成果を生まないことも事実であるが、全ては夢を見ることから開始する。それは非常に小さな和やかな生活を過ごすことかもしれないが、遠慮せずしっかりと自分の頭の中に植えつけることであろう。実際問題そのことの出来るかどうかが、夢実現に関係するのだと思う。

ここに来て回りのマスコミから不安を煽り立てているようなニュースも流されているが、実際それほど深刻なことなのだろうかと考えている。人は常にオーバーに考えて逆に振り回されているのが現実ではないだろうか。それを避けるためにはじっくりと自分の身の回りの変化を見直してみる必要もあるのではないだろうか。
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