2017年04月24日

人生と空港

空港という場所と言葉がある。勿論旅やビジネスへの出発点である。これまで何十回もその空港を利用させてもらったことだろうか。テレサテンの歌の中にも空港というタイトルで好きな曲がある。淋しい別れの歌だが一人旅を続ける者にとっては心地良い響きがあり今では空港を利用する旅では手放すことの出来ないものになっている。

ビジネスで利用する空港は常にあわただしく時間ばかりを気にして動き回っている。巨大空港ではターミナル間の移動に電車を使わなければならないほど大きく、又、タイムリーに移動できなければ乗り遅れる心配もあり何となく落着かない。時として遅れや出発ゲートの変更等があり実に精神的にも疲れるものである。

全ての仕事が終わり帰国のための空港もある。其処には程よい疲れと安堵感があって一風違った感覚である。勿論テレサテンを聴きながらの機内は一人を十分に楽しめる。それが何処の空港からであっても同じように静かにその時を楽しんでいる。見知らぬ人の群れの中を一人静かに待つ空港、そんな言葉が良く似合うところである。

人生はその時々を空港利用しているようなものだろうか。多くの出来事が起きるけれど何れも何かのきっかけがあり、終わりがある。その繰り返しが永遠に続くものだろう。繰返すその中で人それぞれの人生観が生まれてくるのだろう。自分の場合それが一人になって静かにテレサテンの曲を楽しんで、又、次に備えることかもしれない。
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2017年04月18日

日々新たに

日々新たにという言葉がある。それもこの年になってから理解できるようになったのかも知れない。若いころ死ぬほど退屈な日が続いていたような気がする。胸をときめかすほどのこともなく同じ毎日を繰り返していたようだ。それが実につまらなく早く独り立ちしたいと、自分ながら貧しい考えが浮かんでは消え、消えては浮かぶ。今考えれば愚かな夢を追いかけていたようだ。

社会に出てからの人生が大きく変わったと思う。一人で稼ぎひとりで生活し一人で学んで身を立ててゆかねばならない。そんな立場では真っ先に考えて行かねばならないのが、自身の成長である。成長することなしには何の向上もありえないと知るに、必死に学ぶ姿勢に変わった。そうなると日々の生活も大きく変わってきた。必然的なことだろうと思う。

家族を持ち誰かを養って行かなければならない立場になったとき、それは大きく変わってくるものだ。自分独りであるときはそれほど生きることに負担はなかったが、家族が出来るとそれなりの準備も余裕も必要になってくる。それを日々考えて置かなければならない。そうでなければ家族全員が路頭に迷うという脅迫概念が起きてくるようになり、既に退屈な日々は遠いものになってくる。

世の中に生まれ出でて生きていくということは、日々の生活をどのようにしてゆくかということであり、世の中でどのような生活を送るかということは、何かに向かって進んだ結果あるいは成果であるといえる。断じていえることは日々の行いは、それぞれが大切にしなければならないもので、他人に制御されるものであってはならない。
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2017年04月15日

時代の流れ

時代の流れを感じるようになった。自分の考えと違う意見が出てくるようになりその対応を考えなければならないときに、特にそのことを感じる。これまでの価値観と大きく違った判断が必要になってくる。それに伴い成果も違った形で評価される必要に迫られる。時代の流れは急激に変化することはないが確実に変化してきていることも事実である。

変化ということになればこれもまたその速さに違いがある。生物を基本とする時代の流れはそれぞれの交流の仕方があり、その交流の速度により変化の速さが異なってくる。特別に遅いものは淘汰されて、適度な速度を維持できたものは生きながらえている。さらにそれが早い手段に置き換えられてくれば又それに応じて淘汰されてくるものも増えてくる。

現代社会は人間が主導権を持っているように新たな通信手段を次々と開発して勢力を広げてきているが、その裏には人間もかなわぬ形で変化を遂げつつあるものもある。既に予測されているビールス等は数あるなかでも直接的に人類を滅ぼすだけの力がある。あるいは人間そのものの中に存在する疑惑という概念が大きく影響して破壊活動につながることもある。それが今確実に可能になる時代だけに更なる交流が必要だろう。

特にわれわれ人類は知的生物といわれるだけに自らの思考で自らの未来を形作ることが可能なため多くの恩恵も受けるが破滅的なことも行うものである。それが証拠に幾多にわたる争いや戦争でその尊い命を失っているのが史実である。これほどおかしなことを繰り返す生物も珍しいことではあるがそれが我が人類である。
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2017年04月10日

引篭り

世の中に引篭りということばが流行りだして何年になるだろうか。二十歳を過ぎた大人が自宅から一歩も出ないで一日中部屋で過ごす生活を続けることを言うらしい。それを聞いた当初はそんな病気があるのかと思っていたが、最近自分自身がそのような生活を行うようになって少々考えも変わって来たようだ。

とにかく退職後は家でのんびりしたくなって外に出る気があまり起こらないのである。以前は家にいるのが退屈でたまらないものであったのが、今は家にいて自分の好きなギター練習や、折り紙あるいはTV番組を見るのが楽しくてたまらない。それがこの数年続いているのでそれを称して引篭りになったと思うようになった。

人生、生まれたときから死ぬまでにその価値観が大きく変わってくるのだろうと思う。果たして自分はどうだったのだろうか。母と過ごした幼年期には死というものがとても怖いものであったし、思春期においては異性が最重要に思えたし、社会に出てからは仕事の内容が重要であり、そして今は家族が安心して暮らせることが大事と思っている。

人それぞれにその価値観が変わるように、その行動も価値観に合わせて変わってくるのが当然のことだろう。自分の行動の中に引篭りというようなものが生まれてくるとはとても思わなかったけれどそれが普通に自分の中で違和感なしに消化されている。それもこれも人は変われることを証明しているのだろう。
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2017年04月05日

仏滅を思う

どちらかといえばこれまでこの言葉は不吉なものかなと思っていたが、どうもそうではないようだ。人それぞれの受け取り方であり心の持ちようであるような気がする。なぜか知らないが、仏滅の日にこれまでの憂鬱さが一気に吹き飛んだ気もする。それは気持ちの持ちようであり考え方しだいのような気がする。果たしてそれが正解かどうかはこれも又、時間が経たなければ確認できないことではある。

人は仏滅を忌み嫌うようであるが、自分は何かとこの日が良いことが起きるようである。意識していた訳ではないが、起きた結果を振り返る限りはそんなことが繰り返されている。同様に四という数字もあまり好まれないようだが、自分にはラッキーナンバーと思える数字である。最も安定した数字であり、平和な分け方が出来る偶数である。今自分の一番好きな数字はといわれれば迷いなく四ですと答えられる。

世の中に生きている人々は何かによりどころを求めているのかも知れない。それが占いを流行らせ、何の根拠もないものに意味づけをして自らの行動を正当化し、心の落ち着きを得ているのが真実のような気がする。そんな中で自分は何がそうさせているのか、仏滅が自分の幸運を呼んでくれる日になっている。
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