2017年08月29日

未知の世界に向けて

未知の世界でもその環境が整うまで心の準備を続けなければならない。天の味方なしには成果が生まれないだけに時が来るのと運命の女神が微笑むかが、自分の未来に繋がるだろう。どちらにせよ折角この世に生を受けた身なれば、何としても前向きな気持ちで明るく全うして行きたい。その間は趣味の世界を生きることもよしとして進めよう。

退職後はNHK文化センターで念願のギター練習に取組んでいる。以前は折り紙コースを受講している。いずれもが時間の経つのも忘れるほどに没頭できるものでうれしい限りである。何かと人の気持ちを推し量ることで気落ちしていることを忘れさせてくれる二つの趣味である。ギターは今回が年齢的にも最後のチャンスである。

折り紙経験は数年間ほどのものだが、それでも夢中にさせてくれる。最初は5cm四方の紙で小さく折ることから開始して今は創作折り紙に取組んでいる。創作折り紙は自分なりにイメージできるようになれば絵を描くようなものである。これを是非とも身に付けて楽しみたい。それまではより多くの折方を学び自分のものとして活用できるようになりたい。

人生に仕事以外に趣味の世界があることは大きな財である。仕事だけでは壁にぶっかった時の対応の仕方が分からないが、趣味の世界があることにより心の余裕が生まれるので足場を二つ持つことになり、少なくとも横に倒れるようなリスクはなくなる。残りは前後の注意だけとなり安心感が広がる。そのことが趣味をより高く押し上げる元となる。

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2017年08月27日

当事者意識

現役時代に仕事をして行く上で必要と感じられたのが当事者意識である。会社という組織には何百何千もの人々が働いている。その中で手がけている仕事を本当の意味で自分の仕事であると認識している人がどの程度いるのだろうか。時として他人事のような気持ちで取組んでいる人を見るにつけ淋しくなっていた。そこにどんな違いがあったのだろうか。

人はそれぞれに食べるために仕事を持つ、あるいは興味に従って働いている。そのことはこの社会において生きてゆくという意味からも大切なことである。仕事が建設的で成果を生むものである限り多くの種類があることも事実である。自分の仕事も少々変わった仕事だったかもしれない。直接的な成果は何なのだと問われたら答えようもないものだったが。

これまで何億何十億の人々が生きて死んでいっただろうか。それぞれは又、時代に即した仕事を続けて生活を支えていただろうに今は何も残っていない。ただ一握りの人々は後世に伝えたいことを文字として残しているが、それも時代と共に消え行くものだろう。今を生きる我々はそのことを知ったうえでどう対処してゆくべきだろうか。

当事者意識、有意義に生きるには現在の活動を大切にしてゆく必要がある。当事者としての行動が今を生きる生活を支えている。いかなる高尚な思想があったとしても生きる糧がなければそれも続かない。当事者意識でもって仕事をするということが、その仕事の意義も高めてくれるし、生きることへの希望も膨らませてくれる。
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2017年08月25日

書く事について

最近とみに気になりだしたことの一つが書くことである。数多く読書を重ねると自然に文章の良い悪いは感じられるものの明確な判断基準を持っていない。そこで文章読本を買い求めて参考になることはないかと読み続けている。基本的なことだが主語にあたる誰が、何がと、熟語にあたる動詞の関係が明確になることが大切である。それが主幹になり枝葉となるのが文章であるとのこと。

どちらかと言えば下手な物書きほど飾りたがりだという。その結果主幹の関係は遠くはなれてしまう文章になりやすく、理解しづらい長ったらしい文章になってしまうという。実に明快な説明があった。実際これまでの自分の文章を見る限りその通りだと感じてしまう。
今回の関心をもう少し引きずってこれから書く文章の中に注意を促して行きたいと思う。

朝食直後の時間十分が文章読本の時間である。たった十分だが時として今日のように印象に残る説明を見出せたということは大変うれしいものだ。ただ単にボーット過ごす時間であってはそれさえない。人生は限られた時間といわれているだけに、その限られた時間を有効に生かす一つの手段が、読書でもある。

いずれにせよ今の私の文章はこなれた文章になっていないことは明らかである。それを今後人にわかりやすく伝えられるようにする必要がある。人生の後半には文筆活動を夢見ている自分であるならばなおさらのこと。誰よりも書く文章にこだわりを持って推敲できる自分に導いてゆかねばならないと考えている。
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2017年08月20日

靴に考える

最近何となく気にかかりだしているのが靴である。下駄箱には何足あるか不明だが、雨の日、晴れの日、気分の優れない日、結婚式、カジュアル用等と使い分けているが沢山あるわけではなく同じものを気分によって使い分けているにすぎない。その靴も何となく気分が良くなるものとそうでないものに振り分けている。おかしな話である。

現在お気に入りの靴は何処でいつ買ったものか思い出せないが、靴底も皮も厚く古くからある革靴の典型的なものである。この靴を履いて特別なわけもないが、気分転換の前に履く靴と決めているようである。そのほかに底の柔らかい靴も2−3足あるが何となくしっくりとこない。靴幅が広くサイズも大きめで直ぐに脱げてしまう欠点を持ち合わせている。

気に入っている靴は池袋のデパートで購入した靴である。これまで24.5cmと信じきっていた足のサイズを24cmで十分であると知らしめた靴である。ぴったりとフィットする履き心地を味わっている。その靴も長らく履き続けて少々くたびれてきたこともあり、新しく同様な靴を買い込んだ。未だ一度もはいていない新品の革靴である。

何となく運気について靴と絡ませようとしている自分がある。どの靴を履いたときが最も運がついていたかを推し量ろうとしている。勿論現実はどの靴を履いても変わるものではないのだが、あまり物事が上手く行かないときに気の弱さからついついそのような考えに陥るときがある。それにしても靴は大切なものである。全体重を受け止めてしかも快適な歩行を約束してくれる。
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2017年08月14日

未来

殆ど使ったことの無いのがこの言葉だ。何かと知りたい気持ちはあるが、現実的な世界にどっぷり浸かっている中ではあまり考えもしなかった。ここに来て我が人生も残り少なくなり次をどのようにするかと考えるようになった。先人はそれぞれの道を楽しそうに話してくれるけれど、今の自分にはそれに値するものが殆ど無い状況だ。

人生を88年と考えていた自分だがそれから差し引けば残りが未来になる。その未来にどのような時間の使い方をするかで人生の満足度が大きく変わってくることだろう。これまで取り組んだ折り紙やギターが、自分の身につき常にそれらと共に過ごすことが出来たならば、我が未来は楽しいものになるだろう。それが今考えていることでもあるから。

心ある人や、人生計画のある人は幸せである。自分の思うところを十分に楽しみながら人生を過ごすことができる。それを示してこられた先人達の生き方はそれこそ大きな目標となって自分に希望を与えてくれる。未来、それが自分の宝としてゆきたい。そのために今何をするかを考えて行動してゆかなければならない。
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