2017年03月12日

魅力的とは

人間によく使われる言葉である。あの人は魅力的な人だ。なんとなく魅力を感じる人だ。魅力的な顔立ちの人だ。魅力的な立ち振る舞いだ。いろいろな使い方をされる言葉である。人は生きてゆくに評価の対象となるが、その表現方法としてこの言葉が頻繁に用いられる。
他人を引き付ける要素をあらわす言葉だが、なんとなく明確に解釈できない言葉である。

特に個人としてこれまで魅力的という概念を持ったのはすべてが異性への恋心ではないだろうか。頭が良い、顔立ちが良い、スタイル良い、性格が良い、自分にない優れたものをもっている。そしてそれらが全て魅力的という言葉につながっていたようである。しかし、自分にもその魅力を作りたいとは考えることはなかった。それが青年期の思い出である。

今はその魅力の概念も大きく変化してきている。対象が人間だけでなくなったことが最も大きな変化だ。それは音楽や描かれた絵画であったり、書かれた書物であったり、撮られた映像であったり、生まれた感動であったり、数々の小さな親切であったりと、その対象はすでに異性を対象としたころとは大きく変わってしまった。そこにはすでに万物の支配するこの世の全てに魅力を感じるようになっている。

人生とは人の心を大きく変えてくれるものである。この大きな変化がある限り人は誰でも幸せな気分になれるのではないだろうか。単に異性だけに用いていた魅力という言葉がその概念を次々と変えるのも人の心の変化があるからだろう。魅力的という言葉は実に人の心に興奮を与えてくれるとともに、その対象も人生とともに大きく変わるのが又楽しい。
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2017年03月06日

親切の意義

1963年東京大学の卒業式において、当時の茅誠司総長がその告辞の中で卒業生に贈った言葉がきっかけとなって小さな親切運動が始まったと言われている。人には思いやりと親切の心をもって接し、誰もができる範囲で困っている方には親切にしようという運動。人と人とのつながりは会話だけではないし、ましては金銭のやり取りだけでもない。そこに心通うものがあってこそ長続きするものであり、幸福感を得るための潤いでもある。

日々の生活の中で人々はどんなことを思い浮かべて生活を続けているのだろうか。それぞれの考えのもとに、あるいはそれぞれの習慣に沿って行動し、思考して人々に接しているのだろう。その結果がその人の評価となり取り巻く人の感情になんらかの影響を与えている。嫌悪感や親近感は接する人同士で異なるけれど、いずれにせよお互いの胸の中に小さな親切が存在しているかどうかも大きな要素の一つである。

私が最初に親切の意義に触れたのは社会に出たてのころのことである。それは日常のことは何もかも独りでやることに慣れていた頃、血圧を測定するためのマンセットを片手で反対側の腕に取り付けようとしていたとき、その人がすかさず手を伸ばし腕に巻きつけてくれた。それが自分で感じた小さな親切を最初に認識した瞬間だろうと今では思っている。

本当に些細な事ではあったが、これまで若い女性からこのような対応をしてもらったことがなかったこともあり、少々びっくりはしたけれど後からじわじわとうれしさが込み上げて来た。今をさかのぼる数十年以上も前のことだが、後々思い出すたびに心に安らぎを与えてくれる。残念ながら今はその人もこの世になく若くしてなくなられたとのことで寂しい限りだ。小さな親切とは、いつまでも心に残るこういうものかと再認識させられている。
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2017年02月28日

整理整頓

社会生活で整理整頓という言葉がしばしば使われるが、最近になってようやくその意味するところの大切さを知ってきたような気がする。特に机の上が、整理されていないということは、その人の頭の中が整理されていないことを意味する。頭の中が整理されていないということは、考え方に論理性が無いとも言える。人生において論理性の無い行動は、後々の成果が見込めないのではないだろうか。

短期的な見方から頭の切れるすごい人だとか言う話はあるが、その人が中長期的に見ても成果を出して、何らかの貢献をしているかといえば決してそうではない。人はおかしなものかも知れないが、鈍くさいといわれていた人が、長期的に成果を出していることが良く見られるが、これらも何か一つ整理整頓への執着心が絡んでいるようだ。

人間の価値は何で測ることが出来るのだろうか。良く使われる言葉は、前述の成果である。その成果が大きければ大きいほど、その人の価値が高いと思われているようである。しかし、果たしてそうだろうか、自分では他人の心の弦に共鳴できる人が重要ではないかと思っている。それは、全く成果を出すことの無い人かも知れないが、心を通わすことで相手の力を十分にみなぎらせる働きをするのではないか。

整理整頓の話が、なんとなくずれてしまったようだが、整理整頓できる人の心が大切であるということではないだろうか。生きてゆく人生の中では、めぐりあう人との交流が十分に出来て出会った後の心にさわやかさを残せる人が、成功者であり成果を上げているといえるのではないだろうか。常に心が美しく輝いている人とは、そんな人のことかもしれない。
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2017年02月25日

自由の側面

自由という言葉は如何様にも取れる言葉だ。それこそ何でも何の束縛もなく気ままに振舞っていいと言うようにも取れるし、大きなリスクを目の前にして、進むか避けるかを選択するようなときでも使う言葉である。人生の中で幾度となく使ってきた自由と言う言葉は、その時々でどちらに属したのだろうか。圧倒的に自由気ままの方に使ってきたような気がする。ましてはリスクを取るような場合は他人への責任転嫁で進めてきたと思われる。

自由という言葉は時には重くのしかかるし、無責任にもつながるものである。自分の人生をどう選択するかは最終的に自分に跳ね返ることであり、他人に向ければ結果に責任を持たないものである。そんな中で今ある自分の生活も選択の自由の中から生まれてきたことであり、他人の失敗に対して影響したとすればそれは責任を果たしたことにならない。

日々の生活の中にどんな立場で向かうかということは、その人個人の将来にかかってくることだが、至って人間はそのことに気づきにくいと思う。時として何の兆候もないのに大きく悩むことがあったり、危機が目の前にあっても気づかなかったりとする。いずれも起きうる人生の出来事ではあるけれど、悲しい人間の性かもしれない。

自由という言葉の意味を知り確実に成果を出せる人間は少ない。それだから仕事の成果を図るにどれだけ自由という言葉を理解しているかを知ることも面白い。自由ということはそれだけで多くの思いが浮かんでくる言葉でもある。実に面白く深みのある言葉でもある。
自由万歳と叫ぶ言葉の裏にはそのような気持ちもあるのかもしれない。
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2017年02月24日

選択

選択という言葉は何となく軽く響く言葉に思えるが、実はその積み重ねが現在の自分の姿につながっていることを考えると疎かにはできない。人は皆その時々に応じて自分なりの選択を続けている。その選択の基準は長年受け継がれたその人それぞれの文化が根底にあるのだろう。それが顕著に現れるのが宗教戦争であり地域紛争であるようだ。それだけに自身の選択がどうかということを知ることは大切なことである。

言葉の定義としての説明も広範囲にわたることもあるだけにこの選択という言葉の難しさだろう。学生時代においては自分の進むべき道も選択だし、身近な例では服の選択、食事の選択、ましては好みの色の選択、実にさまざまな選択のレベルがある。そのような中において人は選択を続け続ける。その結果がその人の人生を左右するのだから当然のことだろうと思う。

人はそれぞれの人生を歩んでいるだけに選択の結果は大きな違いとなって現れる。それが今この地球上で生活を営む人々の違いになって来ているのだといえる。人種の違いにあるように肌も考えも価値観も違う世界が生まれている。それぞれが作る世界も大きな違いとなって今日の世界が出来上がっているのが現状である。

果たして自分の選択が最良の選択だったのか誰が判断するのだろうか。結果の現象は誰もが見えることだが、満足感というものは当事者でなければ感じることができないことでありそれをもとに判断するとなると結論はたった一人の当事者だけの話になってしまう。人生短い中で何かを選択して何らかの形が出来上がるがそれをもって皆が判断することは以外とおかしなことである気もする。
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