2017年11月22日

飾り石

数年前に飾り石を四つほど買っていた。近くのモールの五階の催し物会場でたまたま見つけたものである。黒と金と桃それに緑色の四種類の小さな石の塊である。それぞれの石には何かそれぞれ意味ありげなことが書いてあったが、今は全く記憶に残っていない。合計金額にして数千円程度であったが、どうした訳か何かに誘われたように購入していた。

今も本棚の中にひっそりと置いてある四つの石である。願掛けという言葉があり人間は弱気になると殆どの人がそのように振舞ってしまうらしい。自分もその一人のようである。このところ体調がなかなか回復せず自分自身を嘆いていたようである。当時からこの石のような強さと硬さを持った強じんな身体を持ちたいという願いから手に入れたのだろうか。

此処に及んで風邪ぐらいで何をじたばたしている。定年退職してもこれからまだまだやらなければならないことが多くある。自分にはこの世に関りあって行けるギターがあり折り紙がありそしてそれらを通して得た仲間との交流がある。それが購入した四種類いの飾り石にも通じる思いなのだ。硬く強く信じてゆけるよう鎮座してもらっていた。

カラフルな石の置物はそれで何となく自分の本棚の中で落着いて、何か自分をガードしてくれているように思えていた。人は信じれば救われるという昔からの言い伝えがあるけれど、自分の心は石に救いを求めるほどこの一週間の風邪で弱気になっていたのだろうか。ギターとスローライフで残りの人生で元気で愉しめることを願っている。
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2017年11月15日

蜘蛛の糸

蜘蛛の糸という芥川龍之介の小説を電車の中で読み終える。以前老化防止のためと称して紹介されていた音読本の中にあって騙された気持ちで何回か音読した経験があり、今回はその読み直しみたいなものであっという間に読み終えてしまった。別段意図があって読んだわけでもないが、読みかけの蟹工船を読み終えて時間が余っただけのことである。

蟹工船はどちらかといえば労働者の決起を促すような内容で政治的な意味合いを多く含んだ内容ではあったが、蜘蛛の糸は実に単純なストーリーで分かりやすく純粋に倫理的な考えのもとに慈悲を強調している内容であると思う。人間が生きてゆくのにこのような慈悲の心を持ち合わせることの必要性を蜘蛛の糸を使って説明している。

現代に生きる自分たちの慈悲というものはどんな形で説明できるようになるのだろうか。物質文明の中で必要なものはすべて与えられるような成果を続けた現代人はエゴが大きく成長してきている。何事にも自分が先に立つようになり自惚れともなりかねないほどの自己主張もあり、小説の中にあるような慈悲の気持ちさえ分からない人が多いのではないだろうか。

そんなこんなの思いの中で読み返す本は何となく新鮮に思えるものである。それが現代の技術の最先端であるスマートフォンで読めるようになったことも驚きである。時代が変わるといろいろな面で変化がある。特に技術的なものを伴う物質文明は加速度的に変化を続けてきたといえる。一方人間そのものに関することは数千年の時を経ても変わらないものだ。それを教えてくれるのが繰り返し読まれる蜘蛛の糸ではないだろうか。
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2017年11月13日

ネットワークと青空文庫

夏目漱石の“こころ”というタイトルの本を読んだ。青空文庫というソフトをダウンロードしてみて世の中如何に便利になったかとつくづく思う。6000冊を超える版権の無くなった書物が全て読めるということである。それも最新のアイフォンを通していつでも何処でも見やすい文字の大きさで至極簡単に読むことが出来る。

わずか数年前までは考えもつかなかった方法で可能になったこの文明の進化を、どのように受け止めて行くのか多くの人は戸惑うことだろう。先物好きの自分ですらスマ―トフォンの採用に少々時間を有した。それにしても最近のネットワークを通しての技術の進歩は自分の想像の粋を超えたものであることは確かである。

これまで小説というものはあまり読んだことがなく興味もそれほどではなかった。今回“こころ”を読んで思ったことは100年前の明治時代の話であるだけに少々じれったさを感じる内容ではあったが、当時の人々には全く新しい考え方であったろうと思う。それを100年後の自分が読んでそれほど感銘を受けるものではなかったが、一連の流れの中で歯抜けしたところを埋めてくれるような感覚で読ましてもらった。

現在のネットワーク技術というものはその面からは時代を超えた世界に瞬時に戻れることも素晴らしいものと思う。これからますますその技術は進歩して新たな世界感を醸しだしてくれる予感がする。今からわくわくした気持ちである。自分としてはいつまでもこのわくわくした気持ちを持ち続けて古き時代をも新しく感じてゆきたいものである。
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2017年11月11日

真摯な態度

真摯な態度というのは生まれつきで生涯変えられないとドラッカーは考えていたそうだ、とするとこれまで自分が裏切られて来た人間には将来も改善の余地がないということになる。その考えか正しいかどうかはわからないが、人は現実に直面した場合の対策を常に頭の中に入れておく必要がある。大きなストレスを抱えないためにも大切だ。

自分の人生を振り返っても多くの失望と落胆を味わって来たけれど、やはり真摯な人との出会いは長く続いているので真実であるといわざるをえない。失望や落胆を味わった人の多くが豹変する態度であることが多く、同様に人生の落伍者も似ている。逆に真摯な人ほど変化がなく重要な役割を担い続けている人が多い。又、いつ声をかけても全く同じように歓迎してくれる。残念なことはそのような人は非常に少ないという事実もある。

真摯な人間かどうかは過去の対応からしかわからない。初めて会った人が真摯かどうかはまず正確な判断は期待できない。そこで全てが現れるという顔の表情を見ることになる。特に初対面の人との場合、まっすぐのその人の顔を見てどんな変化も見逃せないというような対応が必要であろう。相手の顔を見ないで話すというようなことは言語道断である。

果たして自分はどうだったのだろう。これは非常に難しい質問である。同じ職業や生活圏にとどまっている限りでは真摯であったと言える。しかし、これまで行なってきた仕事上では本当にそうだったと言い切れないところもあるのではと心もとない。実際問題、自分の生きた証をどの程度の人が認めてくれるかということが最終判断になるだろう。
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2017年11月03日

日々の暮らし

回りの人はどのように自分を見ているのかというようなことはあまり気にならない。良く言われることだが、人の視線を気にしすぎてノイローゼになる人が多いというが、自分の場合は少々感度が悪くスローな面でこの点では得しているようだ。厭味なことを言われようが意に介せず、結果が出たあとにあの時の発言はこういうことだったのかと気がつくことが多く殆どは後の祭りのケースが多い。

回りの人間もそのような自分を相手にする時は歯がゆく感じているのかも知れないが、それも気づかない自分である。そんな自分がこれまで生活できたことも運が良かったとしか言えない。いろいろなところで自分の理解を超えた動きがあり、今の自分を育ててもらったような気がする。回りの人々には大変迷惑であったかもしれないがそれも運命だろうか。

人生を共にする人々の間でも肌が合う人がいるいっぽうでどんな話をしようとも棘棘しい言葉になってしまう人がいる。しかし、何か矛盾を感じるようなつながりだけども、そこには共鳴できるものとそうでないものの同居を良しとしているのだろう。共鳴するものには共鳴し反発するものには反発する、それも日々の生活の一部である。

人それぞれに生きる目的があり、まわりの人もそれを認めている場合は幸せな環境であるといえるが、足の引っ張り合いが続くようなところではいかなる建設的な話も生まれてこない。反対のための反対作りが謳歌しているようではなおさらに情けなく思う。しかしながら、それも又この世で生きる彩りを形作っているので無くするわけにはゆかないのだろう。
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