2018年03月09日

今後で約束

今後という言葉がある。今後このようなことをするとかしないとか、何れも現時点からの未来に対する約束をするときに使うことが多い。自分の場合この言葉はどのような効果があっただろうか。失敗を重ねる中で常にこの言葉を使ってきたような気がする。それはこれまで幾度となく繰り返された言葉の一つとなっている。

この言葉を使って繰り返すことに歯止めをかけてきたと思うが、それでも不十分だったようで多くの失敗を重ねてきたと思っている。それらの集大成が価値あるものと受け取られているかどうかは知らないけれど、自分自身としては意義あると思っている。仕事においても定年まで無事過ごすことができ、残りの人生で趣味の音色を愉しんでいる。

今をしっかりと生かせるためにはよりポジティブに考えて、今後を利用してさらに大きな成果を出せるようにと考えるべきだろう。人間ネガティブに考え出したらきりが無い動物である。あくまで前向きに成果を出して夢を実現させることが大切である。あきらめてはならないと考えている。

それに今後と言う言葉は未来に向けた言葉だ、未来を見つめた前向きの対応をして行かなければならない。そんな時過去を否定するような内容を含む今後は、その扱い方が大切であると考えている。今があるのも今後を使って自分をコントロールできたところにあると思う。それが未来を作る一つの方法でもある。今後も自分を生かせるような約束をしよう。
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2018年02月24日

人間性を考える

最近人間性について書かれた本を読んだ。頭脳明晰で人前でも十二分に対応できて申し分ないほどの対応のできる人であっても、何となく直感的に嫌な気分になるのはなんだろうかと思っていたが、それが人間性に由来するものであると教えてくれる本である。頭脳明晰でもなく、人の対応も下手くそな者が相手にされるには何があるかを考えてみるにこの人間性というものに惹かれるものがある。

具体的に人間性というもののこれと言える具体的なものはないが、何となく惹かれてその人と一緒に仕事をすることが楽しくてならないような状況にしてくれる人が、人間性に優れていると言えるのではないだろうか。一緒にいることで安心感を与えてくれる人、失敗しても納得してついてゆける人、何かあったら報連相をしたくなる人といえる。

これまで多くの先輩諸氏に導かれてこれまで生きてきたが、その中で人間性に優れている人がいただろうかと振り返るときに真っ先に浮かび上がってくる人がいた。それほど優秀と言われたこともなく感情的なぶれもあったし、それほど成功したわけではないけれど心温まる言動が記憶に残っており、あえば直ぐにでも打ち解けてゆけるものがある。

定年退職して残りの人生の務めをどのように生かしてゆけるのだろうか。今は目標をあきらめないということで進んでいるけれどそれだけでは人の支持を得られない。人間性を高め多くの人の支持を得てこそ強い力となって夢実現に繋がると思う。果たして自分の人間性はいかなるものなのだろうか。自分では知りえないところにこの人間性という力の不思議なところである。
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2018年02月22日

現実と無情

現実を見ると言うことは現実を知ることになり夢とのギャップを知ることに繋がる。人は誰しも夢を持つが、それが物であったり地位であったり金であったり知識であったり技術であったり情報収集であったりと多岐にわたるものである。そこに現実を知ることで夢とのずれの大きさを認識することになりストレスを抱えることになる。

ビジネスの世界でも同様であった。毎年期首にはその年の計画を立てるけれど期末にはその結果がはっきりと現実の数字はと言うことで現される。そこには厳しい結果に対する評価が付いてまわる。勿論本人のストレスだけでなく組織そのものの存続がかかった問題として成果を問われることになる。現実の数字によっては大きな対応を迫られることもある。

人生には栄枯盛衰が当たり前で避けて通れるものではないと認識しているが、運命が微笑んでいるときは思い切り前向きに進めて、逆の場合は静かに生き延びることだけを念頭において次の時を待つ。それが一つの処世訓となっているが、実際それは大切なことである。誰でも運が向かないときにはおとなしくして、運が向いたら思い切り活動するのが良い。

現実とは実に無情なものだが、自分のこれまでの長い人生でも何度このようなことが繰り返されただろうか。それでも無事に最後まで仕事が続けられたと言うことは大変幸せなことであろう。全てにおいて何かの導きがあったとしか思えないほど複雑な人生であったにも関わらず、今ここにこうして生きていることを感謝したい。
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2018年02月16日

桃園の誓い

三国志を読む機会があって十数年前に読んだことがある。その始めの頃の話の中に桃園の誓いという話が出てくる。劉備元徳を含めた3名がそれぞれの誓いを桃の花が咲く園で行ったという単純な話だが三名が出会ってどのような約束事をしたかという内容である。後に続く壮大な物語の前触れとして記憶に残るような導入の仕方である。

そこで語られた誓いが三国志の流れの中でしっかりと守られていることを印象付けるようになっている。それぞれが受け持つ役割も明確に記述してあり実にわかりやすい話である。
三国志の舞台になった成都には既に4回ほど出掛けただろうか。そのうち2回ほど劉備元徳を祭ってある寺に行ったことがある。いずれの場合も今は観光地になっており当時の面影が残っているとは言えないが、数千年も前の人物伝であるだけに興味がそそる。

他人との約束と言うものを人はどのように扱ってきているのだろうか。全く意に介さない人もあるだろうし、忠実に守ってゆく人もあるだろう。しかし、あまりに忠実に守る人は融通が利かず、あまり忠実でない人も世の中は多く感じられる。現代においていずれの対応がよいのかわからない。当時と違って価値観が急激に変化している現代、昨日と今日では全く逆の価値観に出会うかも知れないだけに複雑な気分でもある。

果たして自分はこれまでどんな対応をしてきただろうか。人との約束をしっかりと守ってきたと言えるだろうか。多くのことで不利な約束は忘れていることが多いのではないだろうか、あまり価値を認めないような内容においてはそんな気がする。これまで自分から去って行った人の多くはそのような関係の人ではなかっただろうか。思い出を語るときに、そのような人が浮かび上がってきたときは淋しくなるような気もする。
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2018年02月14日

人間の能力

人間の能力というものはなんだろうか。小さいころから今の自分までの長い人生の中で能力が優れているというような言葉は一度も貰ったことがない。恐らく自分には関係のない言葉であろう。何処の誰だったかは知らないが、少々反発にも似たような気分で聞いていたことだったが、あの人は能力があるという言い方も聞いたことがある。

能力があるといった場合いろいろなことをカバーするようで、単に何かをすることだけにも使うし、社会の中で地位を得ている人にも使う、余興の席で皆を楽しませることが出来る人を捕まえては能力があるともいう。能力とは掴まえところのないもので何か好まれる結果を出す人を指しているようでもある。いずれにせよ漠然としていること間違いなし。

人間なればこそこのような言葉が生まれてくるのだろう。不思議なことは世界には多くの人種がいて、それぞれに異なった言葉を使っているにも関らず意味の共通する言葉あるということである。生活環境が同じである場合は殆ど対応する言葉があるということである。そこは何かしら不思議さの残るところである。人間の先祖が一つである証明かも知れない。

能力があると言われれば嬉しくなり、無いと言われれば悲しくなる人の感情も同じかもしれない。能力というのはそんなところも似ているのだろうか。人それぞれに興味の範囲も対象も異なる中で能力があるという言葉は曖昧すぎるような気がするが、それを発する人も聞くひとも曖昧さが残る。能力という言葉は特に特別に扱うものでもないのだろう。
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