2017年04月05日

仏滅を思う

どちらかといえばこれまでこの言葉は不吉なものかなと思っていたが、どうもそうではないようだ。人それぞれの受け取り方であり心の持ちようであるような気がする。なぜか知らないが、仏滅の日にこれまでの憂鬱さが一気に吹き飛んだ気もする。それは気持ちの持ちようであり考え方しだいのような気がする。果たしてそれが正解かどうかはこれも又、時間が経たなければ確認できないことではある。

人は仏滅を忌み嫌うようであるが、自分は何かとこの日が良いことが起きるようである。意識していた訳ではないが、起きた結果を振り返る限りはそんなことが繰り返されている。同様に四という数字もあまり好まれないようだが、自分にはラッキーナンバーと思える数字である。最も安定した数字であり、平和な分け方が出来る偶数である。今自分の一番好きな数字はといわれれば迷いなく四ですと答えられる。

世の中に生きている人々は何かによりどころを求めているのかも知れない。それが占いを流行らせ、何の根拠もないものに意味づけをして自らの行動を正当化し、心の落ち着きを得ているのが真実のような気がする。そんな中で自分は何がそうさせているのか、仏滅が自分の幸運を呼んでくれる日になっている。
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2017年03月15日

高い感度

人それぞれに持ったものがあると思われる、ここにあげる感度はその典型的なものだと思う。何事にも良く気が付いて、人生の先読みをしながら対応して行ける人とそうでない人がいる。世の中がどのように変化してゆくかを考え付く人とそうでない人がいる。それを事前にシナリオとして提供できるところまで考え抜ける人は、その対応策まで考えられる。そうでない人は、教えられて初めて気が付くか教えられても解らない。

別な言葉ではこれまで変化の流れをキャッチ出来る能力と解釈してアンテナと呼んできた。以前みた米国映画で職を失い妻と別れて、子供を引き取り浮浪者となり、駅のトイレに眠る生活までに落ちた人間がいかなるものかを映し出していた。例えば国内外の変化の流れが人々の不安材料となり色々言われている。その対応策をどうするかと云う状況の中で、国家・社会・家庭としての旗振り役は感度を高め今後しっかりした方向付けを持って対応してゆかねばなるまい。

今、まさに多くの人々がそれを試されていると思う。ビジネスは、成果で評価されるだけにはっきりしているが、凡人として生まれ育った身は人を導くだけの感度を持ち得ていないので感度の高い人々の導きにすがることになるだろう。しかし、最近のネット社会での風潮は船頭が多くてどの考え方が正しいのか見出すのが難しいので高い感度を必要とする。
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2017年03月14日

世代交代

最近世代の差を感じることが多くなった。これまでどちらかというと能天気な自分はあまり年代差を感じず皆と一緒になって騒ぐことが多かった。考え方の違いとか興味の違いとか、それはそれで在ってしかるべきなのだが、その結果として以前には感じなかった寂しさがある。時代の変化を思うにあまりそれにこだわるつもりはないが、気になるところである。

年齢的に自分の体力が落ちたのかと思ったりしてはいるが、そうではないだろうと思っている。物事への集中力は未だ誰にも負けないと自負できるし、実際それが可能な状況にあることも自信をもっている。特別に弱気になっているわけではないが、外からの刺激が続くのが何となく面倒に感じているのかも知れない。

ビジネスを離れた世界にどっぷりと浸かっている現在、気分の浮き沈みは避けられないだろう。これまでのような上昇一方の時代が続くとは限らないし、今回のように気分の落ち込みを感ずることもあると認識すれば、そのこと自体を楽しむこともできるのではないか。そう思うことで退職後の人生も楽しいものである。

それにしても世代交代は確実にあると思うので、次の世代を育てて行くことが自分たちの責務であると思う。人は誰でも自分の考えを共有出来る後継者を捜すには時間が必要と思うだろうけど。自分としては何とか早急な手当てをしておきたいと願う。そんな気持ちを次の世代にメッセージとして伝えられる人がいればうれしいと考えている。
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2017年03月12日

魅力的とは

人間によく使われる言葉である。あの人は魅力的な人だ。なんとなく魅力を感じる人だ。魅力的な顔立ちの人だ。魅力的な立ち振る舞いだ。いろいろな使い方をされる言葉である。人は生きてゆくに評価の対象となるが、その表現方法としてこの言葉が頻繁に用いられる。
他人を引き付ける要素をあらわす言葉だが、なんとなく明確に解釈できない言葉である。

特に個人としてこれまで魅力的という概念を持ったのはすべてが異性への恋心ではないだろうか。頭が良い、顔立ちが良い、スタイル良い、性格が良い、自分にない優れたものをもっている。そしてそれらが全て魅力的という言葉につながっていたようである。しかし、自分にもその魅力を作りたいとは考えることはなかった。それが青年期の思い出である。

今はその魅力の概念も大きく変化してきている。対象が人間だけでなくなったことが最も大きな変化だ。それは音楽や描かれた絵画であったり、書かれた書物であったり、撮られた映像であったり、生まれた感動であったり、数々の小さな親切であったりと、その対象はすでに異性を対象としたころとは大きく変わってしまった。そこにはすでに万物の支配するこの世の全てに魅力を感じるようになっている。

人生とは人の心を大きく変えてくれるものである。この大きな変化がある限り人は誰でも幸せな気分になれるのではないだろうか。単に異性だけに用いていた魅力という言葉がその概念を次々と変えるのも人の心の変化があるからだろう。魅力的という言葉は実に人の心に興奮を与えてくれるとともに、その対象も人生とともに大きく変わるのが又楽しい。
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2017年03月06日

親切の意義

1963年東京大学の卒業式において、当時の茅誠司総長がその告辞の中で卒業生に贈った言葉がきっかけとなって小さな親切運動が始まったと言われている。人には思いやりと親切の心をもって接し、誰もができる範囲で困っている方には親切にしようという運動。人と人とのつながりは会話だけではないし、ましては金銭のやり取りだけでもない。そこに心通うものがあってこそ長続きするものであり、幸福感を得るための潤いでもある。

日々の生活の中で人々はどんなことを思い浮かべて生活を続けているのだろうか。それぞれの考えのもとに、あるいはそれぞれの習慣に沿って行動し、思考して人々に接しているのだろう。その結果がその人の評価となり取り巻く人の感情になんらかの影響を与えている。嫌悪感や親近感は接する人同士で異なるけれど、いずれにせよお互いの胸の中に小さな親切が存在しているかどうかも大きな要素の一つである。

私が最初に親切の意義に触れたのは社会に出たてのころのことである。それは日常のことは何もかも独りでやることに慣れていた頃、血圧を測定するためのマンセットを片手で反対側の腕に取り付けようとしていたとき、その人がすかさず手を伸ばし腕に巻きつけてくれた。それが自分で感じた小さな親切を最初に認識した瞬間だろうと今では思っている。

本当に些細な事ではあったが、これまで若い女性からこのような対応をしてもらったことがなかったこともあり、少々びっくりはしたけれど後からじわじわとうれしさが込み上げて来た。今をさかのぼる数十年以上も前のことだが、後々思い出すたびに心に安らぎを与えてくれる。残念ながら今はその人もこの世になく若くしてなくなられたとのことで寂しい限りだ。小さな親切とは、いつまでも心に残るこういうものかと再認識させられている。
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