2017年02月22日

家族写真

何時ごろからそうなったのか正確には覚えていないけれど、机の上に家族写真を置くようになった。以前にはとても考えられない習慣であったが、海外の販売会社を歴任する内に、現地社員と同じような感覚になってしまったのかも知れない。家族で川崎太子にお礼参りに行ったとき撮った写真が、今机の上にある。とても気に入っている写真だ。

自分にとって家族は宝物である、二人の大切な息子と愛する妻がいて長年の夢が実現している。子供のころの思い出に残る淋しさを繰り返してはならないと思うに、大切に思う心を忘れてはならない。時として意見の合わないときもあるかもしれないが、お互いが家族を大切にしようという気持ちがあれば、しっかりとした絆となる。若くして亡くなった母が、我が家族が幸せに暮らせることを見守ってくれていると思う。

時として事件も起こることもあるが、それも家族の絆を強めるものであって弱めるものではない。昔から家族のつながりは大切とされ守られてきたと思う。それが真実である。人は時として一人のときを好むこともあるが、それは個の成長のためにも必要なことではあるけれど、家族の絆を緩めるものではない。そのためにも家族の写真は、常に目の届くところにあって欲しいものである。

どんな写真も今では何の苦労なく手に入れることができるが、自分の子供のころはそれが適わなかった。それが証拠に今は当時の写真が殆どない。貧しき時の写真が数枚残っているが、他人には見せられない。亡き母の姿もそこに見られるけれど、自分だけの宝物としてそっと持っていたい。そしていつでも笑い顔に届くように近くにおいておきたい。
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2017年02月15日

知力とは

果たして知力とはなんだろうか。知の巨人という言葉も何らかの本で読んだことがある。多くの知識?学問?財力?具体的には何を示すのだろうか。なかなか正確な説明がつかないし、理解が難しい言葉である。そろそろ人生のゴールに達するであろう自分がそのことを完全に理解していないとは、情けないことではあるけれど。

ものの本によると知力の巨人といわれる人がいる。その名をピーター・ドラッガーというオーストリア生まれで米国移民となり米国の巨大企業のG.M.のコンサルとして名をなした人である。その人の書いた本の数々は組織や管理について述べてあり、それらを知る人にマネジメントの神様と言わしめるだけの内容の濃いものである。ビジネスに関する多くの書物を読み進む内に最後にはたどり着く本でもある。それだけ多くの人に読まれていることには間違いない。

自分も多くのことに取り組んできてはいたが、なかなか思うに任せないことが多かった。人はそれぞれ思い思いの考えのもとに、学び実践してなんらかの成果を出してこれまでの生活を支えてきたといえる。それでも更なる成果を上げる難しさは常に立ちふさがる。そんな時必要なのは、新たな知識でありノウハウであるかも知れないが、特定は出来ない。

ここで言う知力とは、この特定できない何かを感じ取ることの出来る能力ではないのだろうか。新たな問題、新たな挑戦、そのような時にこれらを乗り切れる知恵や知識等を生み出すことの出来る力が必要になります。それがここで言うところの知力ではないのだろうか。今の自分にそれが十分にあるとは言えないので、これからも求め続けたい。
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2017年02月14日

頭髪について

それが十分あるかないかでこれほど世の多くの男性に影響を与えているものはなし。それが証拠に頭髪対策が大きなビジネス市場になっている。いかがわしき育毛剤から、かつらや接着剤まで多岐にわたるビジネスが成立している。頭髪がないからとて気にする必要はないといいながらも、年齢が数年も老けて見られることは当人にとって気分が滅入ること。

ビジネスにおいても黒髪が少なく白髪が目立つのではなんとなく未来への希望が持てないと、相手に思われるケースが多い。それよりも、ふさふさした頭髪で真っ黒な太い髪質は、力強さと将来への希望がつなげるようなイメージを与える。それが頭髪の薄い人に育毛剤やかつらといったものへの憧れが、行動を促すので市場が膨らんだのだろう。

マズローは面白いところに着眼したものである。人間の要求は下位の要求が満たされると、その上の要求を目指すという要求段階説を唱えて有名になった。衣・食・住の生理的要求が整えば次に安全を求め、次に帰属の要求、自我の要求と続き、最後に自己実現の要求になるという。頭髪の要求は果たしてこれらのどの段階だろうか。

それらを全く気にしないと自他共に公言する自分でさえしっかりと白髪を染め、一躍有名になった米国生まれの育毛剤、リアップを使用してみたりしたことがある。頭髪の確保は、それだけ一人ひとりの心の中に住み着いている自我の要求だろうか。最近とみに頭髪が細く薄くなった自分を鏡で見るたびにため息に似たものが聞こえてくるこのごろである。
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2017年02月11日

時間管理

自分の持ち時間の財務諸表を作っていますか、という問いかけで始まる本を読んだ。その要約は、人はお金に対しては強い関心があり、会計簿をつけたり投資を考えたりと注意を向けている。しかし、日々限りある時間については、関心が薄くましては財務表を作ってまで管理する人は皆無である。理由はお金と違い、時間は24時間全ての人に平等に与えられているというのか、その管理が殆どなされない。

会社経営においても同様であり、人、物、金とは良く言うものの、時間まで話す人は少ない。いかなる事業も時間無しには進まないとわかっていても、その事にふれる事は少なく、ましては、時間を管理して事業を進める人はこれまでお目にかかったことがない。自分自身に照らしてみても、言えることである。これまでの人生で、時間投資について検討したことなどなかったといえる。

人生には時間に限りがある。人の生涯とて100歳を越える人は殆どなく、そのうちの三分の一は睡眠時間で費やし、残りの三分の一は生活に必要な食事や身の回りの世話となり、最後に残った三分の一が何かに使える時間である。8時間が一日で使える時間としたときに、それを何の目的でどのように使い分けるか考えたことがあるだろうか。そのことが財務表をあらわすことになりはしないだろうか。

高齢となり残り少ない人生をいかに過ごすかが問われる中で、この時間管理という感覚は重要な要素であるといわざるを得まい。残りの時間管理でより多くのことを手がけ、より多くの成果に結びつけて行くことが出来れば、自分がこの世に生まれ出た意義も再確認できるだろう。
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2017年02月06日

涙腺緩む

歳を取ると涙腺が緩むとは良く言ったもので高齢になった自分のことではないかと思う。一寸した心温まる話や、親切、友情、助け合い等、何故か知らないがそれらを見聞きして自然に涙が出てくることが多くなった。若い頃の何が何でもと考える気持ちも薄れて、世の中の現実から見出せる温かい気持ちの伝わるものに涙することが多くなっている。

感動という言葉も別にあるけれど、これは年齢に関係なく使われる言葉である。特に若いときに何かに夢中になり、それがなんらかの成果を得た時には特別に大きなものとなっている。涙腺が緩むというのは、少々それとは違うようである。どちらかといえば、前述したように歳を取ってからが多く経験することのようだ。

人の一生は、いろいろなことに例えられるけれど例えようもないのがあるようだ。それが、年代ごとの感情の流れではないだろうか。人間以外には、それが生まれないだけに例えようがないのだろう。たとえば、動物が歳をとると泣き虫になるかといえば誰もそれを感じた人も見た人もいまい。歳をとった動物を見て涙を流すのも人間だけである。

涙腺が緩むとは実に上手い表現である。微妙に震える感情の動きを表現するのに、これほど的確に表現する言葉はない。我々は言葉も動作も考えも自由ではあるが、それらを使ってより多くの人の気持ちを捉えることが出来るし、失うことも出来る。そんな多くの表現方法の中にある一寸したこの言葉だけど、時には全身を震わせる。人間とは何とすばらしいものを考え出すものだろう。
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