2017年02月03日

時計考

自分にとって時計とは何であろうか。勿論日々の時を知らせてくれるものであり、時間の経過を知らせてくれるものであり、場合によっては事の始まりを教えてくれるものでもある。日常の生活の中においては、既になくてはならないものの一つになっていることは間違いない。そこで、自分にとって時計とはなんだろうかと考えて見たい。

一日が24時間という考え方について、誰が何時決めたことなのだろうか。地球の自転からその時間が決まったのだろうと思うが、中々面白いものである。これが10時間或いは20時間でも良かったのではないだろうか、半端な数字の24時間とは面白い、年間の日数も地球の中途半端な回り方で365日になったり366日になったりしている。

人生も長いとか短いと言っているようだが、何を基準に言えたことだろうか。以前読んだ雑誌か何かで体の大きさで時間も変わるという話があった。たとえば像のように体の大きいものは時間がゆったり流れて、体の小さなネズミなどは時間が非常に速く流れているという。そのために寿命も像が長くてネズミが短いという。実に単純な話ではあるが、同様な話を、長さや大きさの比較についても聞いたことがある。

人間は、宇宙のような大きさからビールスほどの小さなものまで、その大きさを知ることが出来るという。なぜならば人間は大きさという点からは、両者の中間点にいるからだという。果たして時間についてはどうだろうか、人間の感じる感覚からして、最も長い時間から最も短い時間の中間に位置したものが、時計になるのだろうか。
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2017年01月23日

どちらを先に食べる?

人間如何いうわけか食べ物を前にして、凡人は美味しくないものから先に食べて、おいしいものを後でゆっくり食べようとする。だけど満腹になってからおいしいものを食べたって、うまいとは思わないのに如何してかそのことにこだわっている。

一方、非凡な人は自分の好きな食べ物から先に食べておいしくないものは後に残す、場合によっては全く手を付けない。この違いは生まれつきの性格らしいが、生涯同じように続くかというとそうでもない。何かのキッカケでこの習慣が逆転する人もいるので面白い。

何十年後に再会したときに美味しくないものから先に食べていた人が、美味しいものから先に食べ始めているのに気づくことがあるが、ほぼ例外なく積極的で明るい性格の人が多い気がする。一方以前と変わらずその順序にこだわっている人は消極的で何となく暗い性格な人が多い。

人生の途中で食べる順序を美味しくないものから美味しいものを先に食べる方に変えた人ほど現在を愉しんでいるようである。知人と再会し食事を共にするたびに、何か面白い現象に思えるが、本人が変ったキッカケになっている原因と理由が分かれば将来何かに役立ちそうだ。
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2017年01月10日

目薬考

目薬の遍歴は大変なものである。高校時代だろうか近視が進んだとき、何かの宣伝に近視が治るという広告がありその目薬を買ってみたのが始まりだろうか。眼鏡をかけるのが嫌で何の役にも立たない目薬を買い求めて治そうと試みたが結果は変化なし。その後社会にでて同じように疲れ目対策に市販の目薬を買い求めたが、それも全く同じ結果でしかならなかった。

その後も同じで疲れが溜まり目頭が痛くなれば目薬を買い求めて対処療法を繰り返してきたように思える。それは眼鏡を常時かけるようになっても同様で目薬を買い求めては対処療法を繰り返して来た。自慢できることではないが目を酷使してきたことは事実でありそのために多くの本を読むことが出来た。しかし、本を見れば前頭葉が痛くなる現象は今も続いている。

人間の目とはどうしてこうも疲れやすいのだろうか、最近のPC利用のためだろうか、それとも継続してきた読書のためだろうか。あえてどちらであろうとかまわないけれど、何かはっきりとした成果が出ていればそれも良しとすべきだろうが、結果が見出せないだけにこればかりは分からない。それにしても目とは大切なものである。

最近は老眼が進み眼鏡を外して見ることも多くなったが、生きて来た人生の中で目が見えたことによる成果ははっきりしているだけに今後も目の大切さは変わらない。いろいろと文句は言うものの目薬を買い大切にすることは今後も必要なことだろうと思う。
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2017年01月07日

事前の検討

何かを進める時に十分な下調べが必要なことは明らかである。如何に経験豊富な人であろうと素晴らしく感度の高い人であろうと何処かに抜けがあり十分とはいえない。調べた中からシナリオに沿って検討してゆくことの大切さがある。物事はシナリオどおりに行くこともあるがそうでない時もある。その時に応じて対応してゆけるのは事前の検討があったかなかったかに大きく依存するものである。

仕事と言うものは楽しさが伴わなければ大きな成果として現れてこない。何としてもそのことを前提に仕事と言うものを考える必要がある。自分の場合特にそのことを感じるに自分が企画したものには必ず楽しみを加えることにしていた。人は誰もが自分を大切に思っているものである。自分が主役になれるのは遊び心があるかどうかで大きく異なる。

人間楽しくなると言うのは悲しくなるとは逆のケースである。楽しさと言うのは自分が十分に認められ個人として満足を得られるときに自然発生的に沸き起こる感情である。逆に悲しくなるとは何一つ認められず否定されることであり個人の満足感が全く起きてこないために気分的に打ちのめされた気分になり悲しくなるのである。

検討と言うのはそのような人間の状況を成果に結びつけるためにどのように対処してゆけるかということを具体的に考え対処方法をあれこれ考えることである。検討することで人間の感情を楽しくするための環境整備も考えることになる。そのことが仕事の成果ともつながることになり影響を及ぼすと考える。
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2017年01月06日

先人達の知恵

これまで多くのことで、先人達の知恵と考え方に助けられて来たと思う。古希近くにもなると、人生も終わりに近い状況にある。これまで自分を形成して来たことも、導かれて来たことも、全てを振り返られる年齢になったということだろう。お陰で会社人生もそれほど苦労することなく自分のような者でも、幸いにも最後まで勤まった。

社会生活の中で色々なことに興味を持ちそれらを続けられたことで、次々と色々な仕事を続けることになって、少々の成果を得られる毎にポジションも上がって来た。人に後ろ指をさされることなく、その成果から皆も納得して許してくれているのではないだろうか。それもまた、これまでの自分が色々な事を手掛けることになって来たと思う。

百年に一度の不況とも言われたリーマンショックも経験したが、最近は自国の変化よりも他国の状況が大きく影響するようになり数多くの軋轢も生まれてくるだろう。そんなとき自分の心の支えになってくれるのが、先人達の知恵であり教えであると思っている。それがどのようなものか、自分には想像もつかない状況であっても先人の教えは生きて来る。

これまでに多くの先人達に学んだが、はっきり言えることはそれぞれが人格者であるということである。何らかの形で成果を出し、苦しい状況からの脱出を可能にした先人達の多くが、いつまでも慕われていると言う事実もある。これもやはり人格者であるが故に慕われて誰もが素直に教えを乞うのではないだろうか。
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