2018年02月11日

前進の時期

久しぶりにこの言葉を思い出した。少し歳を取って疲れやすくなったからと言って前進することをあきらめてはいけないと思う。人はこの世に生かされている限り前進することを念頭に活動してゆく必要があるだろう。最近の自分は夢と現実のギャップの大きさと実力の伴わないところでの話で弱気になっているようである。誰もがこのような経験を経た上で目的とするところに届くことを忘れていたようだ。

日々考える問題が複雑になってきたこともあり何かと考えをまとめることが難しくなっていたこともあり少々後進しかねない状況であった。しかし、これも観念的なものであり何の実体もないものである。単に考えの中で弱気な気持ち、あるいは体の疲れがトリガになって思考が寄り道を始めただけである。自分の歩く道は常に前進を念頭に置き遠くの空の星を頼りの人生行路である。それこそが自分が生かされ今を生きている条件なのだ。

日々繰り返す単調な行動が大切である。全ての偉大な仕事は単調ではあるが、継続することにより一つ一つが積み重なって大きな成果にとつながる。勿論成果につながらない積み重ねでは人生を無駄に過ごすことになるだけである。今やっていることが成果につながっているかどうかは結果でしかわからないかもしれないが、それを信じて一歩一歩と日々の生活の中で歩を進めるより他にないと思っている。

夢を持つこと、希望を持つこと、何かに取り掛かること、小さな成果を喜ぶこと、人生のいかなることも楽しむこと、それを信条として生きてゆきたいと公言し始めたのは何時のことだろうか。そしてそれを目に見える形で実践し始めたのは何時のことだろうか。全てのことが四十歳代から始まったような気がする。それだけ自分にとってはその年齢の頃が前進することを体得させてくれた時期である。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月27日

不足を考える

夢を膨らませるときに自分自身に不足を感じるところがあり、それが何かを今探している。どんなに急いでも上手く行かないことに対して、自分を知る誰かが導いているような気もする。今思うに強い希望であって、それが実現していたとしてもトラブルばかりで未然に防ぐ力量がなかっただろうと自分に納得している。それが今の自分の姿である。

勿論夢は高くてもそれに伴う実力がなければ頓挫することは明らかである。今其の見え隠れする違いを見つけて、自分の番が廻ってきたときのために準備することの方がより大切であると思う。このところ自惚れが強くなっていたような気もする。そのために考えが浅はかで成果の出ない日々が続いていた。そろそろ目を覚ます時に来ていると思う。

夢を語れることは良いことである。それを実現できることはさらに嬉しいものである。自分の場合、遠い昔に思ったことが今日常的に行なわれている。それもこれも誰かの導きがあったればこそと思っている。自分を知る人からはどうしても今までの仕事につけるとは思えなかったと言われているけれど、自分として努力したつもりではある。

世の中はすごい速さで変わって来ている。それにどうやってついて行くかは自分次第である。日々アンテナを働かせて、入ってくる情報を自分なりに分析して整理してゆかなければこの流れにはついてゆけない。其の為には少々おどけた振る舞いでも楽しみながら外の動きに接してゆく必要がある。勿論それには投資が必要なことも理解できる。時間と金を投資して、不足する知識と経験を積み知恵を出し世の中の動きについて行く必要がある。
posted by Tommy at 04:00| Comment(4) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

諦めない

今年は全てにおいて“あきらめない”という言葉を活かして行きたい。これまでどちらかといえば“負けない”という言葉を念頭に置いていたと思うが、ここに来て“あきらめない”という言葉を大切にして行きたい。“負けない”という言葉は攻撃的な言葉ではないが場合によってはストレスの溜まる言葉である。それに比べ“あきらめない”とは実にシンプルな表現方法で自分にはストレスがかからないが、成果を出すために必要な代弁である。

これまで用いて来た“負けない”という言葉は負けを認めない厳しさがある。新たな言葉としての“あきらめない”は、自分自身が求める成果を得るまでは継続して続けるということであり攻撃的な言葉ではない。毎朝の沈思黙考の中ですべてが、今の自分の目標であり実現させたいものである。それを得るまでは決してあきらめないということである。

ここに来て目標が高くなって来たこともありなかなか実現することが難しくなっていることもあるが、新しい年に気分を一新して実現させることにアクセルを踏む必要がある。そのような中でストレスの溜まるようなことは全て取り除き成果として結びつくようにする必要がある。“あきらめない”は一つの気分転換でもあり実現を早める手段である。

これまではどちらかと言えば短時間に獲得したことが多かった。最も時間がかかったものといっても10年程度で、仕事上の知識も意外と短い時間で取得して来たように思える。それだけに底が浅く十分に価値あるものとなっていなかったようである。これからが大仕事が待っている。何としても実現させたいこれらのことをあきらめてはならない。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月30日

ある年の年末日記

今年最後の日曜日である。家でのんびりいつものように読書とギターとオリガミとテレサテンを聴いて過ごす。夕方妻と二人近くのモールに散歩に出掛ける。本屋がある5階がいつも立ち寄るところである。今日は古本とCDの催しがあった。テレサテンのCDを一枚買って古本を数冊購入して新刊二冊を入手する。そこで妻から電話、ドトールでのコーヒーの誘いがある。二人きりでゆっくり出来る時間である。

人生は60歳からが楽しい、手にした本は実に惹かれるタイトルである。ついつい買ってしまったが、自分自身が既にその年代であることを考えるとこの本のタイトルどおりの生活をしたいと思っている。それに菜根譚という本である。処世哲学書として読みつがれている本であり、尊敬する先輩が解釈執筆された本でもある。何れも読むのを楽しみにしている。

休日とは本来どのように過ごすものだろうか。自分の事ばかりが記録されている日記だが、尊敬に値する人達の休日の過ごし方とはどのようなものだろうか。運動を続ける人、趣味の道を探る人、読書を重ねる人、人それぞれの過ごし方があるだろう。どんな過ごし方が良いのかもそれぞれの考え方によることだろう。休日は特別にこうであるべきということは必要ない、それぞれに過ごせばよいことなのだろう。

人生も60歳代になれば休日の過ごし方は自然に形になるようだ。自分の場合がそうであるように読書とギターとオリガミと音楽が静かに流れることで気持ちの良い休日となっている。今は其の幸せを噛み締めながら日々を過ごしている。これまでの自分の人生はそれほど大きな成果はなかった。しかし、休日というご褒美は十分に味わうことが出来てとても幸せである。
posted by Tommy at 04:00| Comment(0) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

記憶力について

ふと思い出したことが、すぐ其のあとで思い出せなくなっていることがある。自分の記憶力が衰えて来たのだろうか、それともこれまでも多くあったことなのだろうか、どちらも定かではない。人の記憶には多くの引き出しがあるけれど、たまたま開いて閉めた箱に何かが入っていたけれど再確認しようともう一度引き出しを探したが、どの引き出しだったかを忘れてしまったような感じである。

記憶の糸口とは一寸したことでたどれる場合もあるが、どうしても見つからないこともある。人はそんな時どのようにとらえるのだろうか。忘れてしまったとするか、一寸と思い出さないだけと考えるか、しばらくしたら思い出すと考えるか、人それぞれにとらえることだろう。自分の場合は期待をしてすぐ思い出すだろうと考えることにしている。

オリガミをはじめてから折ったものも200種類を超えているだろうと思うが、ほとんどのものがその折かたをすぐには思い出せない。これは普通であると思うべきだろう、何故なら同じ折を繰返すことで身につくものだと思う。加齢で記憶が衰えたとは思わないが、数が多くなっていることが難しくしているだけで継続することで何とでもなると理解している。時間を見つけては一つでも多く折ることが大切である。

日々の暮らしの中で前述のようなことで記憶力が弱くなったと考えやすくなっていることは事実である。しかし、それは年齢のせいではなく視野が広まったことにより記憶に残さなければならないことが増えただけであり、時間を掛け繰返すことで身につけられるものばかりである。今考えなければならないのは如何に継続して繰返してゆくかということであり、それだけが記憶にとどめる時間と数を増やす方法である。
posted by Tommy at 04:00| Comment(2) | 思考ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする