2017年08月09日

好きな道

このところの台風5号による大粒の雨の影響でお花通りが活気ついている。早朝ウォーキングで毎朝通るお花通りからメタセコイア並木そしてバラ園と続くこの道は歩行者専用道路で車の来ない通勤・通学通りでもある。
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季節毎に植え替えられるお花は毎日道路を利用している多くの人々に“いってらっしゃい”と“おつかれさま”を惜しみなく投げかけてくれる。しかし、最近の暑さのせいか少々萎びた感じがしていたが、今朝は特別に元気になって皆を励ましているようだ。
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2017年08月08日

バナナ考

朝食で決まって食べる果物にバナナがある。退職してからほぼ毎朝、朝食の最後に食べる習慣になっている。最初にバナナというものがこの世にあることを知ったのは小学生のころに読んだ漫画の世界でのことだった。逃げ回っていた主人公がバナナの皮を踏んでスッテンコロリと体を宙に浮かせて見事に転がっている一コマだった。以来バナナの皮は滑りやすいというイメージが焼き付き初めて口にする小学生高学年になるまで続いた。しかし、当時最初に食べたバナナは現在とは大きく違い青みの残る半生で少々固くあまり甘くもない果物だったのでがっかりして殆ど口にすることがなかった。

それが大好物に代わったのは出張先のホテルの朝食でバイキング形式になったヨーグルトを選んだとき一緒に入っていた果物類の中にバナナを刻んだのが入れてあり、仕方なく食べたときこれまでのイメージが大きく変わってしまった。甘くておいしいバナナがそこにあった。なぜ同じバナナなのにこんなにも違いがあるのだろうと知人に聞くと、一般に青いバナナは熟して黄色になるまである程度待ってから食べるものということを知った。以来バナナは熟したものしか手にしなくなりそのおいしさを満喫している。しかし、残念ながら家族から糖分が多いので日に一本だけと厳しく咎められている。
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2017年08月07日

同類者

夏ど真ん中、蒸し暑く、寝苦しい夜、唯一早朝ウォーキングがこの気分を吹き飛ばしてくれる。セミの声が一段と大きく聞こえる朝、毎年恒例になった住宅の70メータ前後の共有通路に、仰向けになって動けなくなっているセミ起こしも今週初めから始まった。

同様に近くの公園で体を動かす活動を始める人々が多くなるのもこの時期である。公園内の道路は毎朝商店街の道路と変わらぬ人出が続いている。殆どの人が見知らぬ人々である。そんな中に混じってここ数年毎朝夏だけでなく、厳冬の寒さの中でも見かける人々がいると軽く頭を下げてしまう。相手も同様に同類者と感じるのか軽く会釈して通り過ぎる。中にはお早うございますと、お互い挨拶を交わす人もいる。
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2017年08月01日

巨大鳥籠?

清掃工場の建て替えと聞いていたが建物全体をすっぽり被せるような巨大鳥籠が完成まじかになっている。これまで建て替えと聞くと全体を取り壊し一旦更地にしてから新たな建物に取り掛かるものというイメージだったが、今回は古い建物全体をカバーしてからその中で解体作業に入るようだ。周りが集合住宅だらけなので解体作業に伴う粉塵を撒き散らさないための配慮なのだろうか。住民の一人としてはそこまで考慮して解体してくれる最近の工事関係者には感謝である。それにしても巨大な鳥籠みたいに見える足場が組み立てられていて、私同様にカメラを向けている人が多い。
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2017年07月31日

贅沢な想い出

ある人より心に残る話を伺った。同じ故郷の同級生との思い出である。両方の親が故郷で医者をしていたという関係で、お互い仲良く付き合っていたとのこと。故郷を後に社会に出てから数年たってその同級生から結婚しますと連絡が届いた。それ以来しばらくお互いの連絡が途絶えていたが、三十年振りの同窓会で再会して近況を語り合ったが、そのとき初めて相手の口からどうして結婚してくれなかったのかと想いを伝えられたとのこと。

それから2−3年してその同級生は乳癌を患われてあちこちの病院を回られたが、最終的には自分の死に場所として神戸の病院を選ばれたとのこと。それまでは自分の身辺整理とともに、絵皿制作を続けられていたとのこと。病院で亡くなる一週間前に友人という人から連絡が入り、死ぬ前にもう一度会いたいとのことで神戸まで会いに行かれた。そのとき形見として自作の大きな絵皿をいただいたとのこと。

死を前にして自分の人生を振り返り想いを叶えられなかったことが、大きな心残りとなっていたのだろうか。それにしても青春の思い出をいつまでも持ち続けた方の想いが乳癌による死を前に行動に移された感動をよぶ話である。その想いの対象となられた人の心の中は複雑な気持ちでもあろうと思われる。当時を振り返り結婚の対象とは考えていなかったとのことで、相手の思いをどのように受け取って良いのかきっと戸惑われたことだろう。

残念なことに我が人生にはそのようなことは殆ど無く形跡もない。ただ、自分自身の想いとそれを受け止めて貰えない悲しい思い出だけが、数多く残る一方的な片思いだけである。それは惨めさを通り過ごした淋しいものであった。しかし、今はそれも我が人生に与えられたことだろうと感謝している。我が家族の存在がそのことを証明してくれている。
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