2016年08月21日

昔馴染の友逝く

二つ年上の幼馴染が逝った話が伝わってきた。中学一年頃まで共に過ごして一番の仲良しだった。以来会うことなく離れ離れだったが、自ら起業した事業が大成功し高齢の今も現役で元気に活躍しているとの話を伝え聞いた。知り合いを通して故郷会で会いたい旨を伝えてくれるよう依頼した。体調を崩して入院中で連絡が出来ないとのことだったが、その後どうなったか連絡してみた。既に肺がんで亡くなっていた。

昨夜は一晩中彼と過ごした頃の思い出が走馬燈のごとく次々と思い出されてきた。お互い貧乏な家庭に生まれ育ったにもかかわらず、彼は何事にも積極的でチャレンジ精神旺盛。それに比べ晩熟で控え目な自分はいつも彼の後を追いかけていたような気がする。年上だったこともあり、面倒見も良く当時不足していた食料調達に山奥に入ったり、川魚を採りに行ったりと行動を共にすることが多かった友逝く。淋しいな!!!
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2015年12月01日

ロボット先生

男子生徒だけの工業高校時代あだ名を“ロボット”と名付けられている先生が私達の担任だった。口癖はいつも“正直者が損をする社会で有ってはならない” だった。それに朝のホームルームの時間にはロボットのイメージとは全く合わない愛唱歌、特にロシア民謡や日本の童謡を全員で大きな声で唄わせ思い出作りをしてくれた。

何故ロボットと言うあだ名が付いたのか確かな理由は知らないが、その歩き方や喋り方に特徴があったからではないかと今振り返って思う。歩きは北朝鮮の兵士ほど極端ではないが体が殆ど動かず手足も一定のリズムで繰り返され何となくギコチナイ様子であった。あだ名は代々先輩から引き継がれていたようである。

電機理論がご専門だったが語学を趣味として通学電車の中ではいつも読書をされていた。英国の有名な辞書“Webster's Dictionary”に解釈の間違いを見つけ、それを指摘した手紙を送り相手責任者から正式に認識して指摘に対する修正した旨と感謝状を受け取っておられ大切にされていた。その先生が就職担当で後に私が勤務することになった会社を紹介してくれたお蔭で定年退職時まで無事に勤め上げることができた。

かれこれ10年ほど前だろうか、その先生が入院され余命わずかという話をお聞きして故郷の病院にお見舞いとお礼を兼ねて出掛けた。卒業以来四十数年振りの再会をとても喜んでくれた。しかし、驚いたことには一人では起き上がることも出来ない体でこれからドイツ語を勉強したいとドイツ語の本を枕元に置き天井のテレビにはドイツ語講座が映し出されていた。
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2015年08月23日

ユズリハ

毎朝ウォーキングしている公園にゆずりの木が何本か植えられている。それを見る度に思い出すことがある。

高校生当時のアルバイトと言えば道路工事の土嚢運びやセメント運びだった。気の荒い大人に交じって平身低頭しながら手弁当持ちで一日働いて四百円と当時の高校生としては他に類を見ない高給であった。その分人使いも荒く休みなくこき使われ怒鳴られていたが、いつも優しい言葉をかけて慰めてくれる人がいたお蔭で何とか続けられた。

暮れの押しせまったころ正月の飾り付け用のユズリハをお礼に自宅まで届けに行ったところ大変喜んでくれた。しかし、その家には家財道具が何もなくご夫婦は赤貧の様子でお茶も湧かせないほどの生活をしておられた。それからしばらくしてお二人の姿が見えなくなったが、誰もその行方を知らなかった。未だに心に残るご夫婦にユズリハがしあわせを運んだだろうか。
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