2017年04月13日

テレビ見始め

今日は何の日という放送を毎朝聴いている。4月10日の放送は皇太子(今上天皇)(25)と美智子妃(24)の御成婚パレード。53万人の観衆。ラジオ・テレビで実況中継(1959)があった日とのこと。

当時はやっと物心ついた時期だったが、今でも覚えているのは故郷の小さな子沢山の貧乏村で最初にテレビを購入された家が誇らしげにテレビについて村中の人々に説明されていた。放送ではテニスで結ばれたお二人で、美智子妃は初の民間人から皇室に入られるとの説明だったと思うが、農業以外何もない小さな村では皇室が、テニスが、パレードがと説明されても何かもわからず、物珍しさもありただひたすら小さな画面の白黒テレビを村人の間から食い入るように見ていた。

あれから半世紀以上経ち、テレビは日常生活の中に溶け込んでしまい特別なものではなくなったが、故郷の村は当時よりさらに過疎化して実況中継に村中の人が集まった家も今はなく荒れ地となっている。世の中の動きは目まぐるしく進化しているが、栄枯盛衰は人間の常とは真実をついた言葉に思えてくるこの頃である。
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2017年03月28日

侘びしいこと

ご夫婦とも余命数カ月という連絡を受けてお見舞いに行って三日後に奥様が召された連絡を受けて、今月は実に淋しい思いです。妻と一緒になったころ大変世話になった親戚のご夫婦、今の自分達には出来ないほどご厚意を頂き事ある毎に声をかけて頂いていた。

他の親戚の方々にも大なり小なり大きな影響を与えて慕われてこられたが、寿命なのか通夜そして告別式と終えた今、人生のわびしさがひしひしと感じられる。残された我々や親戚一同も、いつかは寿命というのがある限りは同じ道をたどることでしょう。
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2017年01月12日

夜と霧

最近この地球上で繰り返される悲劇が大きなニュースになることが多く、その度に思い出す本がある。もう何十年も前の高校生のころ、当時の教師に一度は読んでおくべき本として紹介されたのが上記タイトルの本であった。しかし、社会に出て家族を持ちこの本の存在を何かの書物で目にして思い出すまで読むこともなく過ごしてきた。偶然立ち寄った本屋でこの本を見つけて読んだのは既に50歳代だったろうか、こんな悲惨な生活を書き残した著者のヴィクトール・E・フランクルの下記記述は人間の真実を伝えているように思える。

<<私達は恐らくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とは何者か。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。>>
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2016年09月17日

笑い顔

確かにそうだとうなずけるのは“笑う門には福来る”という言葉の意味である。実際問題不機嫌な顔の人のところには、近寄りがたいのできっと福の神も近寄らないのだろう。

人生にはいろいろな生き方や感情がある、怒り、苦しみ、悲しみ、泣き、笑うそんな中で折角与えて貰ったこの人生、自分で愉しみ周りも楽しませて生きて行くことが大切と今は切に思う。人間の短い歴史の中においてもこのことがあちこちに見出される。気持ち良く微笑んでいる人のところへは来客も多いが、自分の悩みにつかまって渋い顔をしていると誰も近寄ってこない。そんなことが何度も繰り返されて今日があるような気がする。

自分に笑いを与えてくれたのは明らかに母の性格ではないだろうか。学校から帰っても家に母がいなければ、小さな田舎だけに静まり返った村で笑い声を探せば、母の居所が即座にわかったことを思い出す。その母が若くして亡くなって一時期全てが闇のなかに放り込まれたような静けさになって、笑い顔一つない無表情の顔が出来上がっていた気がする。それが社会に出てからも続き全く面白みのない生活が十数年も続いた。それが破られたのは、母にも似た性格で私の殻を破り遠い昔に母が形成してくれた明るい性格を引き出してくれた家族である。それが今の私の信条にしている愉しく過ごすにつながっているようだ。
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2016年08月14日

野球の思い出

今年の甲子園大会はリオ・オリンピックにおされた感があるが、自分と野球との出会いは何時のことだろうか。子供のころどうしても欲しいと思うものがある。それが大人の目からは何でも無いことではあるが、当人にとってはとても大切なものである。それが自分の場合野球のグラブであったようである。

母をなくした子供にとって何もかもが自信のないものであった。人に恐れ隠れながら世の中を覗き見しつつ歩き続けたそのころの姿であった。そんな中での布製の手作りグラブの存在は寂しさを隠してくれる宝物だったに違いない。しかも、近くの小学校に集まり数人の仲間と見様見真似で楽しんでいた。そんな中で他の村の子供たちに対戦を申し込まれても何も答えられない自分達がそこにいた。

今でも強烈に自分の脳裏の中にあることがある。当時流行った“ノーコメントか!!“という言葉を投げつけられ情けない気持ちになっていた。今思うに全てに自信のないころである。相手は革製の立派なグラブでこちらは布製のグラブそれも人数分なく戦える状況でないと思い込んでいたわけである。今思うに実に情けない頃だったような気がする。

小学生のころだったと思うが、就職していた兄貴に当時貴重であった革製グラブを買って欲しいと手紙を書いた覚えがある。それが届いたときの嬉しさはなんとも言えない気持ちであった。いつまでも大事にして使っていたような気がする。今はどうなっているのだろうかあのときのグラブ。買ってもらったあとどれほど大切に使ったか今は覚えていないけれど、そのときの記憶だけは明確に覚えているものである。
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