2016年09月17日

笑い顔

確かにそうだとうなずけるのは“笑う門には福来る”という言葉の意味である。実際問題不機嫌な顔の人のところには、近寄りがたいのできっと福の神も近寄らないのだろう。

人生にはいろいろな生き方や感情がある、怒り、苦しみ、悲しみ、泣き、笑うそんな中で折角与えて貰ったこの人生、自分で愉しみ周りも楽しませて生きて行くことが大切と今は切に思う。人間の短い歴史の中においてもこのことがあちこちに見出される。気持ち良く微笑んでいる人のところへは来客も多いが、自分の悩みにつかまって渋い顔をしていると誰も近寄ってこない。そんなことが何度も繰り返されて今日があるような気がする。

自分に笑いを与えてくれたのは明らかに母の性格ではないだろうか。学校から帰っても家に母がいなければ、小さな田舎だけに静まり返った村で笑い声を探せば、母の居所が即座にわかったことを思い出す。その母が若くして亡くなって一時期全てが闇のなかに放り込まれたような静けさになって、笑い顔一つない無表情の顔が出来上がっていた気がする。それが社会に出てからも続き全く面白みのない生活が十数年も続いた。それが破られたのは、母にも似た性格で私の殻を破り遠い昔に母が形成してくれた明るい性格を引き出してくれた家族である。それが今の私の信条にしている愉しく過ごすにつながっているようだ。
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2016年08月14日

野球の思い出

今年の甲子園大会はリオ・オリンピックにおされた感があるが、自分と野球との出会いは何時のことだろうか。子供のころどうしても欲しいと思うものがある。それが大人の目からは何でも無いことではあるが、当人にとってはとても大切なものである。それが自分の場合野球のグラブであったようである。

母をなくした子供にとって何もかもが自信のないものであった。人に恐れ隠れながら世の中を覗き見しつつ歩き続けたそのころの姿であった。そんな中での布製の手作りグラブの存在は寂しさを隠してくれる宝物だったに違いない。しかも、近くの小学校に集まり数人の仲間と見様見真似で楽しんでいた。そんな中で他の村の子供たちに対戦を申し込まれても何も答えられない自分達がそこにいた。

今でも強烈に自分の脳裏の中にあることがある。当時流行った“ノーコメントか!!“という言葉を投げつけられ情けない気持ちになっていた。今思うに全てに自信のないころである。相手は革製の立派なグラブでこちらは布製のグラブそれも人数分なく戦える状況でないと思い込んでいたわけである。今思うに実に情けない頃だったような気がする。

小学生のころだったと思うが、就職していた兄貴に当時貴重であった革製グラブを買って欲しいと手紙を書いた覚えがある。それが届いたときの嬉しさはなんとも言えない気持ちであった。いつまでも大事にして使っていたような気がする。今はどうなっているのだろうかあのときのグラブ。買ってもらったあとどれほど大切に使ったか今は覚えていないけれど、そのときの記憶だけは明確に覚えているものである。
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2016年06月05日

運動会

近くの中学校から賑やかな声とマーチ音楽が聞こえてくる。我々の中学生時代は運動会というのは秋と決まっていた。そして、当日は校庭を埋め尽くすほどの人出があり、色々な出店が並んだ道を通って学校の運動場に家族と一緒に出掛けたものだった。

運動会は学校だけではなく地域や村の大きな行事の一つになり、家族総出で応援に駆けつけていた。会場は地域や村ごとに場所が決まっていて、生徒だけでなく村ごとの対抗意識が強く大きな旗を掲げて応援合戦にも熱がはいり凄かった。

そして平成の今は大きく違って来ている。生徒の健康を考えて日中の暑さを避けて今の時期に運動会を行うようになって来た。生徒の数も激減して広すぎるグランドはガラガラの状態の中、気持ちだけのテントが張られ家族数も限られているようである。時代の流れというものは社会現象も一緒に変化して行くのだろうが団塊世代の運動会を知る者は淋しい。
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2016年04月21日

山吹

無口の父が故郷の敷地内にあった山吹の花を見ては「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」と言っては太田道灌にまつわる話をしてくれた。

若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという話を毎年してくれた。

近くの公園では今年も又黄色い花を沢山付けて今は亡き父を思い出させてくれる。
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2015年11月10日

美しき空席

いつどこで読んだ本だったか今は忘れてしまいましたが、忘れたくない話として下記記事が残っている。それは数十年前の月の美しい土曜日の夜のことでした。この話を残してくれた人が現地の日系人と一緒にドライブにでて、眼下に海を見下ろす瀟洒なレストランで夕食をとりました。そこに入ってすぐに目に付いたのは花をいっぱい飾って、二本の特別に大きなローソクを点した窓辺のテーブルでした。いうまでもなく予約席です。

その近くに案内されて、どんな人たちがこのテーブルに着くのか、そして今宵何を祝おうとしているのか、非常に興味をそそられたそうです。花は純白の百合や菊、カーネーションといったものばかり、ローソクは2時間たっぷり持つもので、窓から吹き上げる潮風にも消える気配のない大きさだったそうです。 

ゆっくり食事をとりましたが、とうとう最後のデザートになっても、予約席には誰もあらわれません。ローソクもすっかり短くなりました。それまではたいして気にしてはいなかったのですが、気がつくとマネージャーと給仕長は通りかかる度に立ち止って情のこもったまなざしで、そこだけポッンと空いているテーブルをジッと眺めているのです。それがいかにもやさしく、それでいて妙にもの哀しいそうでしたので、マネージャーに聞かずにはいられませんでした。すると哀しいいわれがあったのです。

「ちょうど五年前の今夜でしたが、結婚式をあげた若夫婦が、このテーブルでお祝いの食事をなさいました。ローガンさんという船の乗組員のご夫婦で、やはり今夜のように花を飾りローソクを立てましてね、とても幸福そうでしたから私どももはっきり記憶しているのです。次の年の記念日にもやはり二人で見えたのですよ。そして同じテーブルで食事をなさったのですが、三年目には五ドルの為替と電報だけが来たのです。奥さんは乳癌で亡くなられ、自分は航海中でこられない、しかしあのテーブルは自分たちのために予約済みにしておいてくれないか、という文面でした。 

あの清らかな美しい奥さんが・・・・と私どもは、びっくりしてご希望通りにしたのですが、それから毎年決まって為替と電報が来るのです。昨年はヨコハマ、今年はロンドンからまいりました。きっと今頃、ローガンさんは遠くの空で亡くなった奥さんのことを想っておいででしょう。」 

そう話すマネージャーの言葉をききながら、なんとすばらしい話なのだろう。私は深く心をうたれました。それと同時に、マネージャーの心づかいをうれしく思いました。卓上に飾られた花代だけでも五ドル以上のものだったから・・・・もっと話を聞いているうちに、この五ドルの為替がそっくりローガンさんの奥さんの眠っている教会に、年々献金されていることを知って、私も同席の日系人も、人の心の美しさにますます感動してしまいました。 

花を飾った中で燃え続ける大きなローソクの炎が、かつての日のやさしい愛情に結びついていく美談は、まるで現実を超越した一篇の詩を誘うような美しい話ではないでしょうか。 もう、あれから数十年以上にもなりました。ロサンゼルス郊外でのほんとうにあったお話だということです。
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