2017年12月15日

処世訓

社会生活を長年続けていると若い人達だけでなく高齢者でもたまに経験することだが、会うごとに不平不満を話す人がいることがある。何回か同じ話を聞くうちに何となく、もうその話は聞き飽きたという気分になってしまう。そんなときの為に書かれた言葉だろうか。

<<世にはしょっちゅういろんなつまらぬことに不平をならしている人がいる。やれ天気が悪いの、政治がなっとらん、社会状態がいかんなどと、何もかもこの世の勝手が気に入らぬといった連中である。

もしやや逆説的にこういう連中に真理を教えてやろうとするなら、われわれはいきなり頭ごなしに、こう言ってやってもいいのだ。「君はあまり心配事がなさすぎるのだ。気がかりなことでも少しつくりたまえ。心配が多すぎて困っているような人たちのために心配してやりたまえ。そうすれば君のその病的な不平の虫もなくなるよ、あるいはすくなくとも、いま君を不幸にしている事柄をそんなに気にしなくなるよ」と。

とりわけ、精神的職業をもっているような人は、憂いのないことを望むべきではあるまい。というのは、そんなことでは、憂いを持っている人たちの相談相手にもなれないし、それどころかたいがいの場合には、相手の訴えすらのみこめまいから。ヒルティの言葉より>>
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2017年12月12日

永遠の境地

彼の言葉の中でも実践するにはハードルの高い、永遠の境地だろうと思うが中々難しいことである。特に現役のころは日々多くの人々との交流の中で壁にぶつかる度にこの言葉を思い出していた。あるがままの人間として世の中にも受け入れられるかどうかは今後も永遠のテーマだろう。

<<自分のために人から多くを望む者は、つねにこの利害のために目がくらんでしまうだろう。またどうしても人を必要とする者は、たえず人を恐れることになろう。
これに反し、人から何かを受け取るよりはむしろなにか人のためになることをしようと思う者、ただこういう人だけが、恐怖もいだかず、また過度の愛着にもわずらわされずに、あるがままの人間を本当に知ることができる。ヒルティの言葉より>>
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2017年12月03日

よい思想わるい思想

これまでいろいろな思想にも接してきたが、若い頃は何が何だか分からないことだらけで迷わされることが多く何一つこれがというものもなかった。色々と振り回されているうちに出会った言葉だろうが、よい思想とわるい思想として書かれたヒルティの言葉が一番長く定着しているようだ。

<<よい思想はけっして人間独自の仕事ではない。それは人間を通して流れ出るだけのものである。これらの思想が行動や言葉や文章となって形を得た場合、われわれの功績と言えるのは、もっぱら、そういう思想に心を開き、それに奉仕する用意をしていたことだけである。わるい思想の場合も同様であろうか? それならば、わるい思想に仕える用意があったことに、人間の責任があるわけだ。ヒルティの言葉より>>
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2017年11月20日

憂い再確認

風邪の為とは言え一週間以上も三十八度前後の熱が続くと何もかもが弱気になってしまう。弱った体力で考えることは、全てのことに希望が縮小して消極的な考えになってしまう。しかし、我が心の師はこのような憂いが人生には大切で必要なことだと教えてくれた。

<<人の生涯に憂いの伴わないことはありえない。憂いと共にありながら、それどころか往々にいくたの憂いをもちながら、しかも憂いなしに生活して行くこと、これこそ我々の習得すべき生活の技術なのだ。われわれは三つの本質的な理由から憂いを持つ必要がある。
第一の理由は、傲慢・軽薄にならないために、第二は、他人に対して同情の心を持つことができるために、第三の理由として、憂いこそ、われわれに神を信じて、その助けをもとめることを力強く教えてくれるからである。ヒルティの言葉より>>
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2017年11月16日

愛の定義

青春時代口にすることさえ恥ずかしく思ったことだが、長い人生を経て特別な感情も起きずに今は下記の言葉を読んでもすべてにわたり自然に受け入れられるような気になる。

<<愛をもってすればどんなことでも克服できる。愛がなければ人は一生、自分や他人と交戦状態にあることになり、結局くたびれて、ついには厭世に行きつくか、あるいは人間憎悪にさえ落ちつきかねない。ところで愛はいつでも最初は困難な決意である。そして、次には、それができるようになるまで、神の手にみちびかれて、長くたえず学ぶことである。愛は決してわれわれに自然なもの、あるいは生まれつきのものではないのだ。ついに愛を所有するに至った人間に対しては、愛は他のなにものにもまして、多くの力を与えるばかりでなく、より多くの知力と忍耐をもあたえる。なぜなら愛は永遠の存在と生命の一部であって、あらゆる地上のものとちがって老化することがないからだ。ヒルティの言葉より>>
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