2018年01月14日

波瀾はつきもの

寒波で朝夕が極端に寒く感じられる、昨年までは十分に耐えられた寒さだったが今年はその寒さについて行けず日課の早朝ウォーキングも昼間にシフトした。もう一つ残っている遅々として上達しないギターをどうすれば上達できる練習法になるのか模索している。ここはやはり我が心の師にヒントをいただくことにしたいが、何ごとにも波瀾はつきものだとあっさりかわされた気分である。

<<およそ価値のある生涯で、ちょろちょろ流れている澄んだ牧場の小川のように何の波瀾もなかったり、あるいは人間的につくった運河のように、始めから終わりまで一直線の経過をたどるものはない。・・・ヒルティの言葉より>> 
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2018年01月06日

同情について

我が心の師であるヒルティにはいろいろ教えてもらうことが多かった。それも青年期により多くのことを学んだが、同情について述べてある下記の一節は人間関係に悩んだときに参考にさせていただいた。
         
<<いかに世なれた人でも、他人に同情を持ちえないかぎり、たいていは、人間を軽蔑するか、あるいは恐怖することになりやすいものである。そういうことにならないようにわれわれを守ってくれるのは、ひとり同情のみであって、理性や愛ではない。

普遍的な人間愛といっても、しょせんかなり無関心な心構えを呼ぶ名称にすぎない。同情のみが、力強い、あたたかい、活動的な感情である。それは傲慢に上から見おろすような気持でもなければ、また他人の不幸を見てよろこぶような不純な気持ちでは絶対にない。というのは同情とはまさに「苦しみを共にする」ことだからである。

他人の苦しみを自分の苦しみと感じとることから、他人に救いの手をさしのべようという本当の衝動がわいてくるのであって、そういうことがなければ、せっかくの気持ちの張りもあまりに微力な心のはずみに終わってしまうであろう。・・・ヒルティの言葉より>>
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2018年01月02日

人間の徳とは

新しい年が訪れるたびに考えさせられることがある、それは人間の徳とはどういうものかということである。毎年歳を重ねるのだがこればかりは自分にも備わって来るのかどうか、全くわからない。我が心の師は徳について次のように述べている。言わんとしていることは徳を説くことなど出来っこないので徳によってもたらされたことを多くの人に知らせることだけのようだ。

<<徳は人々に命令することも、本来は教えることもできないものだ。むしろわれわれは徳の効果を人々に示して、彼らのうちにこの確信が成立するように手をかしてやれるだけである。自発性こそ徳の真髄なのだ。ヒルティの言葉より>>
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2017年12月22日

気分を変えるには

憂鬱な気分は誰もが経験したことのあることだろうと思う。特に夢多い青春時代には気持ちのアップダウンに応じてしばしば経験することだろう。高齢になれば体力の衰えや全てが加齢と言われる健康問題で日々経験することになる。そういう時の気分転換をどのようにするかヒルティはそれについても述べている。

<<もしあなたが憂鬱だったり、不安だったり、そのほか何か気分がすぐれなかったりしたら、ただちに真面目な仕事にとりかかるがよい。これならいつでもできるだろう。このほうが普通のやり方よりか、はるかに目的にかなっている。普通のやり方というのは、何らかの享楽や気晴らしで、沈鬱の霊を閉め出そうとする行き方のことだが、この行き方では、沈鬱の霊はじきにもどってきてしまうのである。他人の場合でもやはり、大げさな警告をしたり激励したりするよりか、ささやかな贈物でもしたほうが、沈鬱の霊を退散させるのに楽な場合がよくある。ヒルティの言葉より>>
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2017年12月20日

真に偉大なこと

青年時代の多感な時に読んではいたが、当時は理解も納得できずにそのままにしていたが、この歳になって振り返るとこれまでの知識や経験も手伝ってか今なら理解も納得もできる言葉である。

<<真に善い偉大なことでも、その始まりは小さいものなのだ。そうでない場合は稀だ。しかもたいがいまだその上に、ある種の軽蔑や屈辱がこれに先立つ。だからわれわれは叩かれたりいやしめられたりするということから、むしろ確実にそのことがうまく運ぶと推測できることは、ちょうど春の嵐によって春が近いことを推測するのに似ている。もしあなたが、屈辱のうちに、あとからそれだけ一層多くの善いことを恵もうと目論んでおられる神の手をみとめて、屈辱を甘受することができるならば、あなたは一歩大きく前進したことになるのだ。 ヒルティの言葉より>>
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