2017年04月15日

時代の流れ

時代の流れを感じるようになった。自分の考えと違う意見が出てくるようになりその対応を考えなければならないときに、特にそのことを感じる。これまでの価値観と大きく違った判断が必要になってくる。それに伴い成果も違った形で評価される必要に迫られる。時代の流れは急激に変化することはないが確実に変化してきていることも事実である。

変化ということになればこれもまたその速さに違いがある。生物を基本とする時代の流れはそれぞれの交流の仕方があり、その交流の速度により変化の速さが異なってくる。特別に遅いものは淘汰されて、適度な速度を維持できたものは生きながらえている。さらにそれが早い手段に置き換えられてくれば又それに応じて淘汰されてくるものも増えてくる。

現代社会は人間が主導権を持っているように新たな通信手段を次々と開発して勢力を広げてきているが、その裏には人間もかなわぬ形で変化を遂げつつあるものもある。既に予測されているビールス等は数あるなかでも直接的に人類を滅ぼすだけの力がある。あるいは人間そのものの中に存在する疑惑という概念が大きく影響して破壊活動につながることもある。それが今確実に可能になる時代だけに更なる交流が必要だろう。

特にわれわれ人類は知的生物といわれるだけに自らの思考で自らの未来を形作ることが可能なため多くの恩恵も受けるが破滅的なことも行うものである。それが証拠に幾多にわたる争いや戦争でその尊い命を失っているのが史実である。これほどおかしなことを繰り返す生物も珍しいことではあるがそれが我が人類である。
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2017年04月14日

八年前の今日

時の流れは加速するようで、この日からの8年間はあっという間の出来事のような思いである。若い頃から日記をつける習慣があったことで、今はそれが加齢と共に薄れゆく記憶を思い出すのに役立っている。残念なことは、当時熱帯植物が好きで良く通った温室植物園がなくなったことである。そして今はそれがバラ園になっている。

<<晴れの日曜日久しぶりに運動靴を履きカメラを持って外に出てみた。何とあたたかい陽射しだろう。これまで休日となると引きこもりを続けてきたのが、勿体無い気持ちでいっぱいになってしまった。自宅マンションのすぐしたが、四季の香公園でいろいろな花が咲き乱れている。もう桜は散ってしまったが、スミレが彩りを添えて道端に咲いている。

これも久しぶりだろうか温室植物園に入って熱帯植物を見て廻る。こちらも見られない花を咲かせて活き活きしている。ひとしきりカメラで写真をとりまくる。その後、中庭で絵筆を持ってそれぞれ思い思いの絵を描いている年配の方々の前を通り、花と緑の相談室で行われている盆栽展を見学する。何かと詳しいお年寄りが、一つ一つ解説をしながら案内しているのを隣で聞き耳を立てる。いつか仲間に入れたら嬉しいものだ。

これまで散歩といっても自転車でのサイクリングが殆どであった。広い公園内を端から端まで自転車に乗って廻るだけで、何の会話もなくただペダルを踏んでいた。それでも気分転換にはなって一応の満足は得ていたが、今日は思い切り運動靴で歩いてみた。公園のベンチにも座ってみた。花の写真も撮ってみた。旧友にも電話してみた。大きな木下で蟻と戯れた。全てが春の暖かさの中の出来事になった。

散歩は退職後の楽しみの一つになりそうだ。自然の中に生まれ出る生き物や植物が、自分の気持ちをやわらげてくれる。神が全ての生物に与えられたものの中で、ゆとりある散歩ほど気持ちの良いものはないだろう。特に、自分のように生きて来た人間には、節度ある人生であったことが、今日のような散歩を、最高の贈り物として受け取れることが嬉しい。>>
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2017年04月13日

テレビ見始め

今日は何の日という放送を毎朝聴いている。4月10日の放送は皇太子(今上天皇)(25)と美智子妃(24)の御成婚パレード。53万人の観衆。ラジオ・テレビで実況中継(1959)があった日とのこと。

当時はやっと物心ついた時期だったが、今でも覚えているのは故郷の小さな子沢山の貧乏村で最初にテレビを購入された家が誇らしげにテレビについて村中の人々に説明されていた。放送ではテニスで結ばれたお二人で、美智子妃は初の民間人から皇室に入られるとの説明だったと思うが、農業以外何もない小さな村では皇室が、テニスが、パレードがと説明されても何かもわからず、物珍しさもありただひたすら小さな画面の白黒テレビを村人の間から食い入るように見ていた。

あれから半世紀以上経ち、テレビは日常生活の中に溶け込んでしまい特別なものではなくなったが、故郷の村は当時よりさらに過疎化して実況中継に村中の人が集まった家も今はなく荒れ地となっている。世の中の動きは目まぐるしく進化しているが、栄枯盛衰は人間の常とは真実をついた言葉に思えてくるこの頃である。
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2017年04月12日

苦難の時

いくつになっても悩みは或るものである、入院中のギターと会えない淋しさがつのる毎日。そんな時何かあると紐解く愛読書の「希望と幸福」が答えを見つけてくれる。

<<我々は常に多かれ少なかれ苦しみ悩まざるを得ないものであり、完全に悩みのない時など、われわれの内側の発展にとっては、かえって一番危険な時なのだという考えを、あなたはできるならば持たなければならない。

そうすれば、あなたはやがてまた、苦難は最初想像されるよりもはるかに容易に堪えることができるということ、苦難に対する恐怖のほうが何と言っても一番苦しいものであることを経験にとって知らされるであろう。ヒルティの言葉より>>
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2017年04月11日

逆回りの効用

今朝は毎朝ウォーキングで通る公園内の道路をふと思い立って逆に歩いてみた。公園内の周回道路を歩く時は何故か大多数の人が左周りに歩く人が多い。この日も右回りをするような人はほとんどいなくて、単独で或いは仲間と連れ立って歩いたりして明るい日差しを浴びながら早朝の公園を楽しんでおられる。

これまで後ろ姿だけを見て歩いていたのが、急に正面から顔をあわせる人になって少々戸惑いもあるが、通り過ぎた途端にいつも見慣れていた人はこんな感じの人だったのかと改めて全体の印象が湧いてくる。ウォーキングで通る人は決まって高齢者で私が退職後に見かける以前から続いている人もおられる。いずれも健康維持のためだろうと思うが独り黙々と自分の歩く道を見つめながらの速足である。何か逆回りで高齢者の人生の縮図を見る思いである。
posted by Tommy at 04:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする