2017年08月27日

当事者意識

現役時代に仕事をして行く上で必要と感じられたのが当事者意識である。会社という組織には何百何千もの人々が働いている。その中で手がけている仕事を本当の意味で自分の仕事であると認識している人がどの程度いるのだろうか。時として他人事のような気持ちで取組んでいる人を見るにつけ淋しくなっていた。そこにどんな違いがあったのだろうか。

人はそれぞれに食べるために仕事を持つ、あるいは興味に従って働いている。そのことはこの社会において生きてゆくという意味からも大切なことである。仕事が建設的で成果を生むものである限り多くの種類があることも事実である。自分の仕事も少々変わった仕事だったかもしれない。直接的な成果は何なのだと問われたら答えようもないものだったが。

これまで何億何十億の人々が生きて死んでいっただろうか。それぞれは又、時代に即した仕事を続けて生活を支えていただろうに今は何も残っていない。ただ一握りの人々は後世に伝えたいことを文字として残しているが、それも時代と共に消え行くものだろう。今を生きる我々はそのことを知ったうえでどう対処してゆくべきだろうか。

当事者意識、有意義に生きるには現在の活動を大切にしてゆく必要がある。当事者としての行動が今を生きる生活を支えている。いかなる高尚な思想があったとしても生きる糧がなければそれも続かない。当事者意識でもって仕事をするということが、その仕事の意義も高めてくれるし、生きることへの希望も膨らませてくれる。
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2017年08月26日

蝉起こしも日課

夏も後半になりますます蝉の鳴き声がにぎわっている。道端には蝉の亡がらも多く見られるようになった。学者の説によれば蝉は地中で7−13年を幼虫のままで過ごし、成虫になってから1週間程度の寿命で終わるとのこと。人間の目から見れば地中という暗い惨めな生活を長年続けた後に空を飛ぶという華やかだが短い生活の後に死を迎える蝉である。

現在住んでいる場所は、公園街にある住宅のために蝉の鳴き声が多い。まわりを畑や林それに広大な公園に囲まれているせいで、蝉の幼虫が地下で過ごせるところが多いのだろう。最近の都会はコンクリートジャングルで蝉の幼虫が生きられる小さな隙間さえ埋められているところが多い。しかし、有難いことに近隣は未だ自然が多く残り蝉たちの天国だ。

遠い昔の子供時代、小学校の校庭は桜の大木で囲まれていた。その大木で蝉が鳴いているのを思い出す。同じ夏の季節でも初夏と初秋とでは蝉の鳴き声が違っていた。何種類かの蝉が時期を違えて鳴き声を競っていた時代である。あれから50数年経った今、故郷を遠く離れた東京で聞く蝉は、殆どが甲高い声でなくクマゼミのみだろうか。

十三階のベランダに出ようとした私に家族が静かにと言う。ベランダの手すりに蝉がとまっているという。こんな高いところまで飛んでくるのかと思うが、それも初めてではなく日に何度も来るらしい。ぎこちない飛び方で、よくもこんな高いところまで飛べるものだと思う。そんな訳で毎朝のウォーキング時には仰向けになった蝉起こしも日課となっている。
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2017年08月25日

書く事について

最近とみに気になりだしたことの一つが書くことである。数多く読書を重ねると自然に文章の良い悪いは感じられるものの明確な判断基準を持っていない。そこで文章読本を買い求めて参考になることはないかと読み続けている。基本的なことだが主語にあたる誰が、何がと、熟語にあたる動詞の関係が明確になることが大切である。それが主幹になり枝葉となるのが文章であるとのこと。

どちらかと言えば下手な物書きほど飾りたがりだという。その結果主幹の関係は遠くはなれてしまう文章になりやすく、理解しづらい長ったらしい文章になってしまうという。実に明快な説明があった。実際これまでの自分の文章を見る限りその通りだと感じてしまう。
今回の関心をもう少し引きずってこれから書く文章の中に注意を促して行きたいと思う。

朝食直後の時間十分が文章読本の時間である。たった十分だが時として今日のように印象に残る説明を見出せたということは大変うれしいものだ。ただ単にボーット過ごす時間であってはそれさえない。人生は限られた時間といわれているだけに、その限られた時間を有効に生かす一つの手段が、読書でもある。

いずれにせよ今の私の文章はこなれた文章になっていないことは明らかである。それを今後人にわかりやすく伝えられるようにする必要がある。人生の後半には文筆活動を夢見ている自分であるならばなおさらのこと。誰よりも書く文章にこだわりを持って推敲できる自分に導いてゆかねばならないと考えている。
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2017年08月24日

脱力を覚える

退職してギター練習を習い始めた当初、筋肉痛に悩まされたものでした。もっともひどかったのは左肘の腱鞘炎にかかったことだった。弦を抑える度にズキンとくる痛みに耐えかねて整形外科に駆け込んだほどだった。長い休養期間をおいてからは講師の助言に基づいて練習を再開したのが脱力して練習することだった。

もともと何か新しい運動やスポーツを始めようとすると力んでしまう性質らしくガチガチになってしまい、もう少しリラックスして取組なさいと当時の指導者にアドバイスされた。はじめの内は仕方のない事なのかもしれないが、ギターも独りで練習していると自分では気が付かないことが多く早速上記の腱鞘炎になってしまった。

ギターは弦を押さえて、その弦を弾いて音を出す楽器だから、必要以上に強い力で弦を押さえても何の意味もない。むしろ逆に音程が狂い必要最低限の力で弦を押さえればいいのですと言われてもなかなか理解出来ずに苦しんだ。そこで講師いわくA4サイズの楽譜一枚を親指と人差し指で上部を軽く挟み持上げ、落ちないこの程度の力で十分ですとのこと。

力を抜くことを意識して右手も左手も音が出る必要最低限の力で押えて弾く、このことを十分に心掛ける事。難聴気味の高齢初心者には初めのころは音が小さいのに少々不満がありますが、普段からそのくらいで弾くように意識してくださいとのこと。弱く弾ける人は強くも弾けますが、普段から強く弾いている人は弱くは弾けないので、今の内から脱力して弱く弾く癖をつけることが大事だということらしい。
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2017年08月23日

メトロノームを使う

これまで万年初心者の自分はメトロノームを使うことは殆どなかった。しかし、以前リズム音痴を指摘されたことがあり、その意味するところが最近になってやっと分かってきて、音楽を趣味とするにはこれをいかに克服することが重要かということを知る。
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初心者がテンポもリズム感もわからない中でメトロノームを使わず練習しても上達するのは至難の業で最近では練習中常に使うことにしている。リズムが何かを知らずリズムを正確にカウントできる人間なんていないし、目指す練習曲もいくら練習しても音楽にならない。運指練習をする時も、曲の練習時にも、必ずメトロノームを使うことにした。

ある上級者が言うにはメトロノームのクリック音に合せるのではなく、クリック音を支配出来るようになった時が上級者ですとのこと。その意味が理解できるようになるまではメトロノームは必ず手元に置いて常に使いましょうとアドバイスされる。
posted by Tommy at 04:00| Comment(2) | ギター日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする